小さなお茶会 ~じるこん堂へようこそ~

匂いの迷路をひげの指すとおり進めば 少々思わぬことに出くわしても辿りつける…らしい。

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カテゴリー 歴史雑感 の記事一覧

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和むよなぁ…というか泣けるよぅ"(つu<,) 

すごいのはストーリーの構成だけじゃなくて、アスキーアートでこんだけ「絵」としてのイメージを表現できるってところ!


★【1985年(昭和60年)3月、イランの首都テヘランから
1890年(明治23年)9月、和歌山県紀伊大島大島村樫野の話


349 名前:75/167 2/4 sage 投稿日:04/04/13(火) 22:35
ヾ丶\ 、\ヽ 、丶\ \ヽ丶丶 \ \ \ ヾ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ 
 ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ヽ ゝヽ丶丶\ \ 丶 \ 丶 ヾ丶
 ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶 丶 ヽ ヾ ゞ\ .ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ 
\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ 
ヾ丶\ 、\ヽ 、丶\ \丶丶 \  \ ヾ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ
 ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ ゝヽ丶丶 \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ 
 ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶  ヽ ヾ ゞ\ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \丶
\ 丶 \ ヾ 丶丶\、 丶丶、γ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 丶 ヽ \ \. 丶ヾ
ヾ丶\ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ \ |  テシェキュウ ヾ  \ ヽ丶丶 
 ヽ 、ヾ \ 丶 ヾ丶\ \  ヽ、  _____丶\ヽ ゝヽ丶
 ヽ \  \丶ヾヽ \   \ /二∧ )ノ 丶 丶丶丶 ヽ ヾ ゞ\丶\
\ 丶 \ ヾ 丶丶\ ○( ´∀` )○ヽ \ \. 丶ヾ 丶v \ 
ヾ丶\ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ ヽ丶丶 \ 、\ヽ 、丶\ \ \ ヾ
 ヽ 、ヾ \ 丶 ヾ丶\ \ヽ ゝヽ丶丶 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ \ 
 ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ヽ ゝヽ丶丶\ \ 丶 \ 丶 ヾ丶\
 ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶 丶 ヽ ヾ ゞ\ .ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ 
\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ 
ヾ丶\ 、\ヽ 、丶\ \丶丶 \  \ ヾ 丶 ヽ丶 丶 \ヾ ヽ
 ヽ 、ヾ 、ゞ ヾ丶 ゝ丶\ ゝヽ丶丶 \ 丶 \ 丶 ヾ丶\ \
 ヽ \ 丶\丶ヽ\ 丶  ヽ ヾ ゞ\ヾ丶 丶丶 \丶 ヽ \ \丶
\ 丶 \ ヾ 丶丶\、 丶丶、 丶 ヽ \ \. 丶ヾ 丶v \ ヽ 
\ 丶 ヾ 丶v \ ヽ \\ \. 丶丶丶、 丶\ ヾ 丶丶\、 ヽ 


…う、うわぁぁあああああああんっ!
こんなしょぼい「絵」なのになんでこんなに感情移入できちゃうのかな(;;)
。ぐすん。
これ作った人、ほんとスゴイ!





★【2002年日韓共催W杯にて:デンマーク、トマソン選手の話

そしてトマソンは少年に言った。

  彡彡'ミ   「君の試練は君にとって辛いことだと思いますが、
 ( ´、ゝ`)   君と同じように君の家族も、その試練を共有しています。
 (_つ と)    君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」

                         
この言葉に黙ってうなずく少年。    

         「わかっているなら、オーケー!
  彡彡'ミ    誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
 ( ´、ゝ`)   そして君のお母さんにも辛いことはあるのです。
 (_つ と)    それを乗り越える勇気を持ってください。」



そして、トマソンは最後に少年にこう言った。

  彡彡'ミ    「ボクは今大会で1点は必ず獲ります。
 ( ´、ゝ`)    その姿を見て、君がこれからの人生を
 (_9   )    頑張れるようにボクは祈っておきます。」

この言葉に
            ∧∧
           (´∀`*) ニコ!

この少年は初めて笑顔を見せた。



う、ううううう、うわぁあああああぁん!!

ええ話やっ!





というわけで、こんな感じでいい話に触れられるお気に入りブログ↓もオススメしておきます!
★【日本と日本人のなごむ話・いい話・感動した話・泣ける話

なんかね、ここ読むと自分が日本人でよかったなぁって思える。
管理人のkuromaryuさま、ほんとありがとう!




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その後の日本とロシア(とクリミア半島) 

まだ引っ張るか、ロシア!
うふ、だって歴史って泥沼なんだもの~(泣)。

エカテリーナ2世の死後も、クリミア半島では海軍の覇権をめぐってだぁらだらな戦争が起きている。
1853年1856年
クリミア戦争
ロシアとイギリス、フランス、オスマン帝国との間でクリミア半島をめぐって起きた泥沼戦争だ。

ちなみにこの1853年は嘉永6年
日本に、アメリカの使節ペリーが黒船にて浦賀へ来航した年でもある!(ジャーン!)

それは大黒屋光太夫エカテリーナ2世と謁見してから(1791年)はや62年後の世界。
この60年余りの間に、鎖国中のはずの日本はどう変化していったのだろう?




さて、大黒屋光太夫がロシアから帰国して後、幕府はロシアの接近に対応するために蝦夷地を一時直轄とするなど対策に乗り出していた。

もともと1786年(天明6年)には、最上徳内に蝦夷地と千島を探検させている。

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ロシアの女帝 エカテリーナ2世 ⑤ 

ともかく、そういった純粋な少女のような恋文を書く一方、エカテリーナ2世は貪欲な領土拡大政策もしっかり展開している。
なんだかんだとロシア勢力の拡大に貢献したロシア史上二人しかいない「大帝」の一人として彼女は働いた。
愛だ恋だで廃れていく女ではなかったことは確かだろう。

もしかして、ポチョムキンの方が身分的に“女帝の愛人”としては不相応だった部分もあったのかもしれない。
娼婦ベロニカ』とは逆のパターンというかw。

彼は彼で、別れてからも

「エカテリーナの望むことを手伝い成し遂げたい」

という思いを抱きつつ、遠く南ロシア(クリミア)へと旅立っていく。
二人の熱愛が冷めた時から、ポチョムキンはエカテリーナに新しい愛人を紹介する役に回ったとされるが、女帝の好みを知り尽くしているからこそということもあっただろうし、むしろ離れていても自分の影響力を彼女に残しておきたかったという男心でもあるようにも感じる。




しかしどんなに愛人を取り替えても、女帝にとってポチョムキンがただ一人心から愛を感じることができ、なおかつ友情を忘れない信頼できる人物だったことに代わりはないようだ。
女帝は権力で愛人を繋ぎ留めることはせず、彼がやりたいことをさせる道を選び権限を与え、自分はロシアという国をますます強大にしヨーロッパでの発言権を強めるべく政治に命を懸ける勢いで邁進するのだった。


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