小さなお茶会 ~じるこん堂へようこそ~

匂いの迷路をひげの指すとおり進めば 少々思わぬことに出くわしても辿りつける…らしい。

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秋里和国弐 『TOMOI』 ② 

Tomoi Tomoi
秋里 和国弐 (1996/02)
小学館

*詳細を見る

TOMOI
秋里和国弐


「神よ! …もう、死んでもいいですか?」




(以下ネタばれ注意)

「TOMOI」(2)=『マンハッタン症候群』で愛する人を失い生きる希望も失くした友井さん。

さすがの友井さんも愛する人の突然の死と、ゲイであることが職場でも知れ渡り常に周囲から白い目で見られるという環境と孤独に耐えがたくなり、とうとうN.Y.を逃げ出します。
こんな時こそ人には支えが必要です。
家族や故郷に救いを求める場合もあるでしょう。

しかし友井さんの場合、それは「仕事」でした。

「きみは地獄へは堕ちるな」
というマーヴィンの遺言のために自殺することもできないまま、どこまでも医者として生き続けます。
(*キリスト教では、自殺すると地獄へ堕ちるとされるから?オリジナルでは「きみは生きろ」と言う)

「友井久嗣・エピソード4」にあたる文庫版収録の『TOMOI』(3)では、1984年(昭和59年)、舞台を煌びやかなアメリカN.Y.から一転、荒野のアフガニスタンへ移します。








1979年(昭和54年)当時にソ連(現ロシア)がアフガニスタンへ侵攻しており、その隣国のパキスタンには難民があふれかえっている状態でした。
(*当時アメリカソ連に対抗して支援していた勢力のひとつが、現在9.11のテロの首謀者とされているウサマ・ビン・ラディン氏であるというのは皮肉です)

友井さんはもともとパキスタンアフガン難民病院へ働きに行くのですが、そこで知り合ったゲリラたちの従軍医師として自ら志願し、さらに危険なアフガニスタンへ同行します。




「命など惜しくはない」

自虐的な日本人の友井さんに奇異の目を向ける戦士ザイール。
慌てて、
「死とはアッラーのもとへ行くことだろう?」
とイスラム教徒でもないくせに神の名を語り相手の不審を煙に巻くところなどは、相変わらず友井さんは友井さんです。



「死」に近い場所でなげやりになって(しかし医者としての仕事には全力を注いでいる)生きているところへ、ある日アメリカから仏教遺跡を撮影に来たという契約カメラマンのスミスと出会います。

スミスは訳あって危険なアフガニスタンに12歳の幼い弟を同行させています。



「よくまあ、こんなところに子供連れで入国できたもんだ。常軌を逸してる」
とあきれる友井さん。
ブラコンの兄弟に閉口しますが、なぜか弟アデルバートに気に入られてつるむようになります。(ほんとは妹でアデライナ)

「アデルバート、左手でメシを食うな。
郷に入っては郷に従え。
左手はケツを拭く手だ」


「////」





「ダニや南京虫には慣れた?」

「慣れたよ。
野グソには慣れた?」


「☆…////う…ん、少し…」


「(中略)お前たちほんとに兄弟心中なんかしにきたんじゃないだろうな。
こんなところに子供を連れてくるなんて信じられない。
スミスは頭がおかしいんじゃないのか?」


「お兄ちゃんを悪く言うな!」

兄をバカにされて怒ったアデルバートは川で友井さんに水をぶっかけ、友井さんも大人げなく(本気で)応戦します。
大人げないことをしてしまったと思う友井さんですが、水遊びをした気分のアデルバートは洗濯帰りの友井さんの服のすそをつかんで無邪気に笑いかけます。



「ドクター、…初めて笑った」


アデルバートの言葉に友井さんは驚きます。
自分がまだ笑い方を覚えていたのか…と。
マーヴィンが死んでから一度も笑えなかったのでしょう。

友井さんがふと心を開くシーンで、私が好きな場面です。




日本人でイスラム教徒でもないのにわざわざ無関係な戦地に同行する友井さんの理由が「早く死にたいから」だと知って、カメラマン・スミスはキリスト教徒的視点からか怒りをぶつけます。

「人のことをばかだと言うが、ドクターはもっとばかだな!
(中略)
人間には寿命がある。
だからぼくはどんな不幸にあっても死なんか考えない。

死にたいなんてサイッテーの弱音だ!
じゃなきゃ命をかけて愛と自由のために戦ってるゲリラたちはどうなるんだ。


人は、神がもう死んでもいいというまで生きなけりゃだめなんだ!








この回のお話では、ほとんどゲイエイズの問題は出てきません。
ゲリラが悪いともソ連が悪いとも示唆されていません。

友井さんの、「死」と「希望」と「生きる」ことへの心情の移行が、ソ連のアフガン侵攻という時代背景と友井さんにとってはセックスの対象にならない子供(少女)との触れ合いをからめて描かれていきます。



性の対象ではなく、守るべき対象としてアデライナを「愛している」と自覚した友井さんは俄然「生きたい!」と覚醒します。

そう覚悟してからの友井さんは『眠りの森の美男』の頃のような活き活きした表情を取り戻します。

笑うことを思い出させてくれたアデライナの存在は、友井さんにとっての希望であり生きるための原動力となります。



大人の友井さんと子供でなんの力もない少女のアデライナと並べてみると、守られる存在がアデライナであることは一目瞭然ですが、友井さんを守っているのはむしろアデライナなのです。(実際は彼女は何もしていないけれども)

守るべき存在を持つこと。
これが、その人自身を奮い立たせ生きる力となるのです。
これに男女の差も大人子供の差もそうないと思います。



今、自分が守るべき人は誰なのか?


明確にそれを意識した時、人は本当に救われるのではないでしょうか。

それを心に刻むことは、自分の生きる方向を定めるのにとても有意義だと思います。(普段、めったにそんなことを考えたりはしなくとも)



















ああ

きょうも

 空が…


         青 い






空が青いということすら忘れていた友井さん。
それを思い出させてくれたアデライナ。



しかし---。









どうしてこの友井さんが、『気分はもう正方形』でオチャラケキャラとして登場した彼がこんな人生を迎えると思うでしょう。
この物語は哀しいほどの澄んだ青い空を背景に終わります。
続きはありません。




このお話は、昔読んだ時はただただ友井さんの報われない人生に「ゲイだから幸せになれないってのか!?」とか「神なんて本当にいるのか!?」とか虚無感に囚われる気分しか感じませんでした。

しかし大人になり、守るべき存在がいかにその人の生きる糧になりうるのかを知った時、人間が生まれて生きる意味が少しだけ分かった気がしました。
だからこそ、よりいっそう人生の残酷さも身につまされますが。

人は誰かしら、「自分にはなんの取柄も特別な資格もないし…」と生きる意味を失くした時期を抱えているのではないでしょうか。
傍目には自信満々でも、明るく元気はつらつに見えても、どんなに大勢の友達に囲まれていても、やさしい家族がいても。
どうせいずれ死ぬのに何故つらい想いをしてまで生きなければならないのか?
自殺するつもりはなくとも「死にたい」と思ったことがある人は多いのではないでしょうか。



「死」とは何か?
「生きる」とは何か?
「愛」とは何か?

この地球上の膨大な人間が蠢く世界にありながら、哲学や宗教でさんざん語りつくされているはずなのに、未だその答えが何なのか明確にされてはいないのかもしれません。

多分、それは人それぞれにしか答えが出せないからなのかもしれませんが。


『TOMOI』はゲイを題材にした物語ですが、そこで感じとるものはきっと読む人それぞれの視点で違うと思います。

個人的には、「同性愛だから良く異性愛だからつまらない」とか「どっちの方が正しい」とかいうのではなく、性的方向が違えども人間が持つ愛の方向は同じなんじゃないか?とこれを読んだ人に伝わればいいなと願います。



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