小さなお茶会 ~じるこん堂へようこそ~

匂いの迷路をひげの指すとおり進めば 少々思わぬことに出くわしても辿りつける…らしい。

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ロシアの女帝 エカテリーナ2世 ① 

先日のTV番組では、エカテリーナ2世の恋愛遍歴から歴史を振り返っていて美術館について分かりやすく説明されていた。

好きなわりにロシアの歴史的背景には疎いので大変いい勉強になった。
女でありながら夫と追い詰めクーデターを起こし、女帝として君臨するとはロシアの女はなかなかやる…と思っていたら、彼女はドイツのどちらかと言えば没落しかけた貴族の娘だったようだ。

もう少し、彼女の生きた時代を振り返ってみようかな。





みゅーーーーーん。





…時代は今から277年前。

1729年4月21日、ドイツの小領主のもとに女の子が生まれる。
(その頃日本は江戸時代:享保14年将軍綱吉の頃)

旧姓、ゾフィー・フリデリーケ・アウグスタ
プロイセン(ドイツ)のシュテッテンで生まれ、敬虔なプロテスタントルター派信徒であった両親の元で育てられる。




ルター派とは?
1517年 : 宗教改革マルティン・ルター(もともとカトリック教会)によって生まれた、プロテスタント(新教)の一派。
教会の、免罪符(*贖宥状)を買うことでで罪が消える罪が軽くなるというやり方に反発したというのが発端。

贖宥状(しょくゆうじょう)の方が正しい?
16世紀、カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。
免償符、贖宥符とも言われているもののこと。
もとはラテン語の "indulgentia" の訳。
かつて「免罪符」と訳されていた→"indulgentia" には免罪という意味はない&贖宥状が「罪のゆるし」を与える、のではなく「ゆるしを得た後に課せられる罪の償いを軽減するもの」であるため、「免罪符」という訳語は本来適当ではない。
by Wikipediaより
(そうだったのか…私が学校で習ったときは免罪符だったよ)

     ↓
カトリック(旧教)との教義的対立がドイツを中心としたヨーロッパ諸国で起こる。
     ↓
内乱状態が38年間続く。
     ↓
1555年、一応カトリック(旧教)とプロテスタント(新教)の間で講和。
妥協しつつ宗派の選択が認められるがその後も宗教対立が政治的対立へ発展。

*ちなみにこの頃日本では戦国時代琉球王朝薩摩の間で交易したり、遣明船種子島で建造してたり、天竺人(インド?)から眼鏡・望遠鏡を伝えられたり、ポルトガル船が種子島に鉄砲伝来したり、ザビエルがキリスト教伝来したり、織田信長が清洲へ入城したりした頃。


彼女が生まれたのはそうした宗教改革からルター派(プロテスタント)がすっかり定着した約200年後のドイツだ。
父親はプロイセン軍の少将、アンハルト=ツェルプスト家のクリスチャン・アウグスト。
(う、ドイツの軍人さんってだけで妙に好意的になってしまう自分がいる…)

母親はホルシュタイン=ゴットルプ家のヨハンナ・エリザヴェート。

少女ゾフィーが生まれたのは、日本では参勤交代が復活したり、享保の大飢饉(イナゴ大発生による害で大凶作)で米価騰貴、江戸で打ち壊しがあったりした頃の時代でもある。

「私は1729年4月21日、
つまり今から42年前に、
ポメラニアのシュテッテンで生まれた。
男子を期待したのに最初の子が女の子で、

みんながっかりした

後でよく聞かされた。

でも父は、周りの人々よりは私の誕生を喜んでくれたらしい」



---エカテリーナによる『回想録』より。



まあ、貴族の娘に限らず、こう言われて凹んだ経験を持つ女の子はけっこう多いと思う。
男尊女卑と言えばそうだし、言われた本人(子供)は結構ショックを受けたりするものだが、そこでいつまでも凹む必要はない。
ここで、だから社会を変えていかなくては…と我々は考えたりしがちだが、そんなところでやいやい言うより本人にとっては今現在の社会をわたり歩いていく方法を考えた方が建設的だと思うのだ。




さて、貴族とはいえ家柄も貧弱で特別美しくもなかった彼女だが、母親が名門貴族ホルシュタイン=ゴットルプ家の出身(ロシア皇室スウェーデン皇室に通じる)ということで、ロシア皇太子ピョートル(後のピョートル3世)の妃の候補に挙がったことで、ゾフィー少女の人生は変わっていく。
番組でもあったが、生家の母親から

「お前はなんて器量がわるい娘だろう」

と言われていた幼少時代の話は女性たちの気を引いたことだろう。
もちろんそれは母親の心無い言葉などではなく、

「お前は器量がよくない。
だから、余計に人一倍勉強し賢くならなくてはならないよ」


と、結婚する殿方によって女の人生が決まるその時代においては実に現実を客観的に捉えた、母親ならではの教育方針からくる言葉だったようだ。
この「賢く」には単なる学力的なものだけではなく、「女性として周囲に愛されるような振る舞いにおいて」などの意味も含まれている。
この辺りは「娼婦的な技術」も示唆されていたと思う。

でもこういうことって親から諭されるのが自然といえば自然かもしれない。
15で遠い異国へ嫁ぐ娘にその後近くでフォローできないのなら、手元にいる間に教育するしかないのだから。








ちょっとズレるけど。(*以下脱線しまくってますが)
10代で結婚することは稀になってきた現代だが、性交渉そのものについての知識を親などが諭すのは必要だろうと思う。

だってたいていは「結婚→セックスする」なわけで(それだけではないけれど)、初心な小娘は結婚した途端周囲から「子供はできた?」と当たり前に尋ねられると、「=セックスしてる?」と聴こえてしまうのではないだろうか?

(なんでそんな最もプライベートなことをおおっぴらに聴いてくるのーーー!?)

と困惑する女性たちの声もよく聞く。
もしかして、昔よりも娘たちは初心になってるのか!?
セックスそのものは知っていても、その意味を考える機会は少ないのかもしれない。

どんな小娘でも情報量の多い昨今、セックスについて知らないコの方が少ないのかもしれないが、それでも家族間であまり会話がなければ、ますます思春期の娘にセックスとは…と諭すのは難しくなってくるだろう。

とはいえ、我が家ではみんなでゴハンを食べている時などにTVの映画(特に洋画)などから「大人のキス」や「大人の濡れ場」の場面になるとみんなで食べかけの姿勢で固まっていた家庭だったけれども。w(当時の子供たち:小学生~高校生)
そして、私はそんな家族を面白がって観察する子供だったデス。

そういえば、このエルミタージュの特別番組でもエカテリーナの視点でロシア人の女優俳優陣?で豪華に「大人の濡れ場」シーンを再現挿入してあったが、どこかの家庭のお母様が
「子供も見てるのにあんなシーンをリアルに再現しなくたっていいじゃない(怒)」
とお怒りだったなぁ。
でも、この場合、子供って「濡れ場」そのものよりも親の反応の方をよく観察しているものだよ。


ちょっと状況は違うが、映画の『娼婦ベロニカ』(1998年:アメリカ映画)を思い出した。
この映画は中世イタリアヴェネチアが舞台だった。
ある没落貴族の女性が持参金がないために愛する男と結婚できず、しかしその名家の男性と公然と会う(愛し合う)ために自ら高級娼婦への道を選ぶというものだったと思う。
娼婦ベロニカ 娼婦ベロニカ
サントラ (1999/10/21)
BMG JAPAN

*詳細を見る

初心で純粋な娘が、男の気をいかに惹きいかに繋ぎ留めるか…といった「技術」の極意をこれも実は娼婦上がりだった母親から伝授されるというシーンがあり、小悪魔振るのも大変だなぁ…と思った覚えがある。
映画は個人的な浮気は名家の子息でもご法度だが、高級娼婦と夜遊びするなら許す…という時代背景を逆手に取った女性の人生を描いたもので、結構面白かった。(ラストはかなり悲惨で泣けてくるが)
イタリア人女性の話なのにハリウッドが製作したので俳優はみんな「英語」で話すというよくよく考えるとヘンな映画だったっけど。


(閑話休題)








ともかくそうして、自分がニコニコ笑っているだけで誰からも愛される女ではないと自覚した少女は相当な覚悟で勉強し、たった15歳で遠い異国のロシアへ旅立って行ったのだった。

とりあえずは見合いの為、女帝エリザヴェータの招きによりサンクトペテルブルグに少女ゾフィーが着いたのが極寒の2月下旬。




★【世界の国々・ヨーロッパの地図
現代で言えば、ドイツポーランドリトアニアラトビアエストニアロシアサンクトペテルブルグという感じの長旅となる。(道程不明)
サンクトペテルブルグはややフィンランド寄りの海に近い地域にある都市だ。
番組では陸路だったような雰囲気だったが海路だったかも?

このリトアニア・ラトビア・エストニアバルト三国について。
↓にリアルな旅行記あり。ふむふむ~!
★【黒猫の巣】にゃおんちゃんさんの香ばしい国々についてのブログ。

また、バルト三国というと『エロイカより愛をこめて』26巻~27巻「ポセイドン2000」、を思い出すなぁ!
エロイカより愛をこめて (26) エロイカより愛をこめて (26)
青池 保子 (2000/10)
秋田書店

*詳細を見る

いやー、すごいマンガだよ、『エロイカ』は。

★【元漫画少女の雑記帳】より ←おお~!
とおーーーい、東欧の小国のニュースなんてここ日本じゃちっとも流れないし身近に知るきっかけそのものすらないのに、バルト三国って聞いただけで、
「ああ、あのヨーロッパとロシアに挟まれて揉まれてきただけあって、普段は意見が合わなくてまとまらないくせに、小国ながら大国相手の交渉の術を心得てて、いざ自分たちの国に不利だと悟ると団結するというあの不思議な三国ね!」
とイメージが出て来るんだから!
最も「ポセイドン2000」(2000というだけに2000年のバルト海が舞台)の少佐の任務はロシアとバルト三国とドイツの間で駆け引きされるバルト海をめぐる海軍機密の情報戦でデンマークが舞台だけど。
エロイカ』を読むと、歴史を勉強する以上にその国に親近感が沸いてくるから不思議だ。
ちなみにバルト三国とロシアとの関係は、ロシア革命後に三国とも独立を果たす→第二次世界大戦中に独ソ不可侵条約の秘密議定書によりソビエト連邦に併合される→ソ連が弱体化してきたと見るやいなや1991年8月20日にそろって再独立を果たす…と、関わりは深い。
小国ながらソ連崩壊へ大きな影響を与えた猛者たちでもある。



あ、バルトじゃなくてロシアの都市、ロシア、ロシア。
北欧ロシアバルト地図

★【ロシア北欧バルト4都市5日間のツアー(サンプル)
↑いいねー、このプラン!
でも、エルミタージュ美術館はとっても広いのでとても一日では回りつくせないような感じだったなぁ。
番組で山口智子も
「こんな駆け抜けてないで、じっくり一週間くらい見て回りたい!」
って言ってたっけ。

このサンクトペテルブルク(聖ペテロの都市)という都市は、都市建設に適していないじめじめとしたネヴァ河畔の湿地帯に、人工の近代都市を膨大な労働力を召集して1703年に建設され始めた。
造ったのはピョートル大帝(1671-1725)。
ネヴァ河はフィンランド語で「泥」という意味だそうだ。

元々はフィン人漁民しか住まない沼地だったものが、近代ロシア国家の建設のためには海への出口と「西欧への窓」が不可欠と考えたピョートルは、大量の農奴を動員してここに新都市の建設を開始したのだ。
厳しい気候や過重な労働で倒れる農奴は数知れず、そのため当地は「屍の上に築かれた都市」とも呼ばれている。

1712年モスクワから首都をサンクトペテルブルクへ移行される。
以来、西欧各国から優秀な建築家を招いた結果、ロシアには珍しくヨーロッパ的雰囲気の漂う都となった。
当市の生みの親がピョートルなら、第2の祖は女帝エカテリーナ2世といわれている。
ピョートルが理想としたのはオランダ風、建築様式でいえば奇想にみちたバロック様式。
エカテリーナは一転、パリをモデルに優美なクラシック様式の街づくりを行う。
(*この辺りが男と女の趣味の違いかw)
19世紀前半、ニコライ1世が彼らの事業をひきつぎ、都市整備の仕上げた。
この人は厳しい専制政治で評判の悪い君主だが、当市建設にかけては相当の功績がある。
彼の性格を反映してか、イサク聖堂エルミタージュ宮殿新館など、この時代の建物は豪奢な中にも独特の厳しい面立ちをしている。

★【在サンクトペテルブルク日本国総領事館HP】より


★【サンクトペテルブルクの旅行紀
うーん、ちょっといい感じですね!



余談だが、エカテリーナは「特別美人じゃなかった」ということだけれども、番組のロシア人の女優さんは、ばっちりお美しい方で再現されてましたね☆
あと「へー!」と思ったのが、エカテリーナのドレスがよく映画で観られるようなお尻の部分が盛り上がっているふんわりドレスではなくって、腰の左右だけがワイヤーで膨らんでいるタイプでしたね。
はじめはヘンな形ね~と思っていたんだけど、ポチョムキンが背後から抱きしめるという場面があって納得。

お尻が膨らんでいたら背後から抱けないよね!
おお~、なんて合理的な形だ!
と感心してました。

うん、うん、後ろから抱きしめられるのってうっとりするもんねぇ。
個人的にも向き合って抱き合うより、背中をすっぽり抱かれる時の方が安心感とか恍惚感とかより感じられるので、あのドレスのデザインはGJ!だと思う。

おっと、コホン。(恥じらいつつ)








女帝に謁見し、そうたいして美人ではないものの利発で聡明そうなゾフィーは気に入られ、早速見合いの翌日には皇位継承者の妻に与えられる聖エカテリーナ勲章を与えられた。

そのまま皇太子(大公?)の婚約者となったゾフィーは、同じ年頃のピョートル少年を見るなり

(こいつひょっとして…バカ?)

と思ったかどうか定かではないが、

「私は結婚で幸福になるため、はるばる旅をしてきたのではないわ。
政治という仕事、ロシア帝国に君臨するために嫁いだのだ」
(キリッ)

と彼女は、自分の使命を自覚し気を引き締めたという。
15歳でたいした覚悟だよ。

1744年6月28日、宗教的にはルター派だった彼女は自らロシア正教へ改宗。
翌日より、名前もロシア風にエカテリーナ・アレクセイエヴナと名付けられる。

改宗の翌朝には、ブラガベシチェンスキー寺院で婚約式が行われる。
エカテリーナは正式に「ロシア大公妃(*)」となる。

大公とは?
日本語で大公と訳される称号(英語表記)は、Grand DukeとArchdukeの
2種類。その違いは以下の通り。

1.Grand Duke
国王(King)と公(Duke)の間の称号。
ハプスブルク家以外の大公はすべてこの表記。
皇帝/国王の一族などがその地位に就くことが多く、統治者となって大公国(Grand Duchy)を立国することもある。

2.Archduke
オーストリア大公ハプスブルク家の一族が名乗る称号。
オーストリア公ルドルフ4世が使い始め、1453年神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世によって帝国法で認められた。
非公式には1414年からオーストリア公エルンスト鉄公が使用してる。

かつては君主として以下のような大公が存在した。
 ・ オーストリア大公(現在のオーストリア)
 ・ ルクセンブルク大公(現在のルクセンブルク)
 ・ モスクワ大公(現在のロシア)
 ・ ウラジーミル大公(現在のロシア)
 ・ トスカナ大公(現在のイタリア)
 ・ バーデン大公(現在のドイツ)
 ・ リトアニア大公(現在のリトアニア)
 ・ ワルシャワ大公(現在のポーランド)

しかし、現存する大公はルクセンブルク大公のみ。
なお、大公の敬称はHRH(殿下)。

★【東ブログブルク公国】より (←wwwツボに入った~ルクセンブルクの洒落っすねw)


えーと、このピョートルが「皇太子」だったり「大公」だったりでどっちが正しいのか混乱しているこるちです。
しかし、よく考えたら、女帝エリザヴェータの甥っ子だから「皇太子」じゃヘンなのかな?
後継者としの「大公」が正しいのか…な?むーん。
それはともかく…。


1745年8月21日、カザン寺院で壮大な結婚式が挙げられた時、ゾフィー少女16歳。





この後、皇帝となる夫をクーデターで追い落とし、ロシア最大の領地を統治する女帝となるまで16年の歳月が流れる…。




歴史雑感 *  TB: 0  *  CM: 2  * top △ 

この記事に対するコメント

訪問履歴を拝見してお伺いしました。
ご訪問ありがとうございます。

女帝エカテリーナ2世についてのご説明、
大変勉強になりました。
実は以前うちのブログで、彼女がお気に入りの王子にプレゼント
するために造らせた、飾り皿のコピー作品を
ご紹介いたしましたので、とても興味深く
拝読させていただきました。

それぞれの作品にそれぞれの背景がございますので、
ご紹介するのにも毎日が勉強の日々です。 

また、お邪魔させていただきます。

【2006/11/03 07:03】
URL | artymama #- *編集*

☆artymamaさま、いらっしゃいませ~。
エカテリーナ2世の飾り皿(コピー)早速拝見させていただきました。
カメオの飾りが素敵ですね~!
エカテリーナ2世のコレクションなどを見ているとただ権力に任せて高価なものだけを愛したのではなく、自分が見て「美しい」と感動したものを収集したのだろうなと思いました。
でもそのお気に入りの王子って誰だったんでしょう?気になります~。

こちらこそよろしくお願いしますv-254
【2006/11/04 00:28】
URL | こるち #- *編集*

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