小さなお茶会 ~じるこん堂へようこそ~

匂いの迷路をひげの指すとおり進めば 少々思わぬことに出くわしても辿りつける…らしい。

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バイクとレースとノリックと 

2007年10月13日(土)、東京青山にてノリック(阿部典史)の葬儀・告別式が行われた。
私は結局東京には行かなかった。

だから自宅でひっそりと黙祷。
お葬式に行かなかったせいか、ニュースから一週間たった今、どこかで「ほんとなのかなぁ…」と実感の湧かない部分もある。
昔レースを一緒に観に行っていた知人と久しぶりに連絡をとってみたら、

「今期だけでヤマハのトップレーサーが立て続けに3人も亡くなっている、なにかあるんじゃ?と思ってしまうよ」

というようなことを言っていた。
彼女はもともとホンダの創始者である本田宗一郎のファンでレースが大好きでどこかの雑誌の記者というわけではないけれど、レーサーに会えば個人的にガンガン取材も行うという活動的な人で、私など間接的にしか知らないレーサーの意外な素顔を教えてくれたりもした人だ。
私はそんなこと考えもしなかったけど。



ニュースの直後、情報がほしくてネットで2ちゃんなんか見ちゃって余計悲しくなった。

「プロのレーサーが公道で事故って死ぬなんて恥だろ」とか「レーサーがバイクに乗ってて死んだんだから本望だろう」とか「公道じゃなくてせめてレースで死ねばよかったのに」とか「プロだったらプライベートでは(事故ったらダメージの大きい)バイクじゃなくて車に乗るべきだった」とか、…もおね、がっくりくるような発言が多くて。
多分、普段は別にバイクに興味なくレースにも興味なくて、ノリックのことだって実際はそんなに知らないし関心もないガキが暇つぶしに書き込んだものなのだろうって思うんだけどさ…。(もちろんそんな人ばかりではないけどさ)


私もさ、今でもこう言われるんだよね。

「あなた、いつまでバイクに乗るの?
もうそろそろやめたら?
もしケガでもしたらどうするの?
ご実家のご両親も心配してるし、何かあったら私が合わせる顔がないわ」


まあ、この方はもともとバイクが大嫌いで、その昔買ったばかりの息子のバイクをその息子の留守中に無断で売り飛ばしたことがあり、怒った息子に対して

「だってあんな目障りなモノが自分の家にあることがガマンならなかったのよ!」

と逆切れした強者なのだが…。
(だからってバイクを手放すほど私もおとなしくもないわけだが…)
まあ、当の「ご両親」は少なくともその方よりは私の性格を知ってるので今更「乗るな」とも「やめれ」とも言わないんだけどね。
なにしろ自分が趣味で船に乗って日本海の荒波に揉まれている人なので「危ないからやめろ」というなら「あんたこそ!」と言われるだけだとわかっているから。



バイクは車に比べると事故った時のダメージが大きいのは確かにそうなのだが、「危ないから乗るべきではない」というのならそれは車も電車も飛行機も船も基本的には同じだろうと私は思っていたりする。
事故にならないように気をつけるべきだとは思うけど。




バイク乗りにもいろいろなタイプがあって、私はどちらかというと自分でドレンボルトを締めたこともないヘタレライダー。
ツーリングでも基本的には左車線をのんびり流すタイプだ。
それでも嫌がらせで車に幅寄せされたりすることもあるし(思いっきり左に寄ってこられたので右に逃げたら今度は右に寄ってこられたり)、スピードは出していなくても事故に遭う時は遭うし、実際車と衝突して5、6mくらい吹っ飛んだこともある。
乾いたアスファルトの路面をメット越しにガーーーーッと滑っていったことは今でも覚えている。(以来メットは必ずフルフェイス)
当時のバイクはフロントフォークが「くの字」に曲がって廃車になったが、幸い自分自身は打ち身のアザができたくらいでほとんど軽症の無傷だったのはただ単に運が良い方だったのだろうと今は思う。

その頃もよく「(事故にもあったし)そろそろやめれば?」と言われたものだ。
でも、当時も私は何故“そろそろ”なのかイマイチ不思議で仕方なかった。
バイクも車も乗り物には変わりないのになーと。
私は当時から「ママでもライダー、おばさんでもライダー、おばあちゃんになっもライダー」という自分をぼんやり想像していたんだけど。
要するに、バイクに乗っていない人からすると「バイク」=「無謀な若者、学生の乗り物」というイメージがあったのだろう。
大人になったら卒業するもの、というような。

その頃からかれこれ10年以上になる。
当時「若者」だったライダーたちも現在はそこそこいい大人になって、バイクをめぐる環境も少しは成熟してきたんじゃないかと思う。
レースを観に行っても、すっかり昔マンガになってしまったしげの秀一のマンガ『バリバリ伝説』の頃ようにいかにもなリーゼント頭に黒い革ジャン、いかにもな族組はあまり見かけない。


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しげの 秀一 (2001/07)
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むしろサーキットには小さい子供を連れた家族連れの方が多いのでは?というのんびりした雰囲気がある。
もちろんぴちぴちした若いコたち(?)も多いけどw。

レース中にはクラッシュや接触事故も時にはある。
とんでもない馬力のモンスターバイクを極限まで操って繰り広げられるレースの世界ではあるが、当のレーサーたちの言葉を雑誌などで拾っていると、

「レースは公道よりも危険は少ない」

とよく言われている。
理由は、少なくともコースを逆走する迷惑車両も突然飛び出す子供もいないから。
コース上には落石も陥没もなく、砂が載ったりしてもすぐさま整備員が除去してくれるし、安全が確認されているからこそキツイRのコーナーもギリギリのスピードで突っ込んで立ち上ることができる。
たまにすぐ前にクラッシュしたバイクのオイルに載って滑ったりというアクシデントは起こりうるけれど、それもコースを見守る整備員の合図で知ることができるし、あまりにも危険だと判断されたらレースそのものが中断されたりする。
また悪質な走行妨害は当然ルール違反だしライダーの命にも関わってくるというのは周知なので、いくらポイントのためであってもあえて他車を潰しにかかるというアホウはそうそういない。(たまに露骨に悪意を持って邪魔してるだろ!?という場合もあるが)

なにより、レースはライダー一人の仕事ではない。
メカニックや監督、スポンサーなど多くの人々の仕事の上に成り立っている。
速さはライダーだけのものではなく、本番までのあらゆるメンテナンスとセッティング、コースや気象条件に合ったタイヤのチョイス(どのメーカーのどんなタイプのものを使うかで明暗が分かれることもある)といったものからすべての条件を満たした上で行われる。

速いマシンを手に入れたライダーが速いのは当たり前だけど、速いマシンは本番までの細かいセッティングや地道な走りこみのデーターによって支えられている。
ライダーの癖にあったマシンに調整したり、あるいはマシンの性能にあった走り方を模索していかなければならない。
乗っているライダーがメカニックに何を伝えるか、伝えられるかでそのセッティングも変わってくる。
特に言葉の違うさまざまな人々と関わる外国のチームでは、ライダーのコミュニケーション能力も重要な要素だったりする。

「速いマシンくれよ(作れよ)!」

だけでは、速いマシンはできない。
また、ただ無茶で無謀な走り方をするだけで速く走れるという単純なものでもない。
もちろん才能と強運というものも必要だろうけど。

大方は雑誌のインタビューやTVの解説を聞いているだけだなのだけど、いろいろレースを観てて思ったのは、プロのライダーたちは一般人ライダーよりよほど謙虚だったり人間的に落ち着いている。
多分、気まぐれな気分屋には「レーサー」は務まらないのだろうと思う。



レーサーは公道を迷惑走行するいわゆる珍走族とはまったく違う。
彼らはバイクをとても繊細に扱うことができるバイクのプロではあるが、どんな危険も回避もできる技を持っているわけじゃない。
彼らがサーキットのコースをバイクの性能を極限まで活かして(あるいは制御して)走れるのは、ある種コース上が「安全」だからできることだし、そもそもレースには絶対的な「ルール」があり、戦うライダー同士には共通の「目的」があって成り立っているスポーツだからだ。

そして、レースで事故って死ぬことが「本望」だなどと(おそらく)誰も思ってはいない。
なぜならレースは「勝って何ぼ」「完走して何ぼ」なのだ。
頭のイカれたライダーの力量だけで勝負できる底の浅いものではない。

正直、自分はバンク角に意味を見出せない亀ライダーでレースもそう細かい部分を語れるような通でもない。
でもしばらくレースやライダーの動向を長く見ていると、彼らがいわゆる「珍走族」とはまったく別の人種だというのは分かる。
ヘルメットを脱いでしゃべる彼らは極めて礼儀正しく控えめで真面目な「職人気質」な様子が伺える人種が多い。(性格の差はいろいろだが)

ちょっと前に、「いわゆる不良少年を鍛えてバイクのレースに参加させてみる」といったTVの企画があったような気がする。
「怖いもの知らずのぶっ飛んだヤツ=速く走るにちがいない」という感じで始まったんだっけか?
でもその経過はとても無残だったように覚えている。
始めは口も態度も大きく自信満々にカッコイイことを言っていても、自分の思うほど速く走れない、思うようにマシンを操れない、どんなに速いつもりでも「普通のやつら」の方が自分よりも断然速い…という事実に腹を立ててバイクを投げ出す者もいたと思う。

「マシンが悪いせいだ!」

というような怒り方をしていた者もいたんじゃなかったか。




恐ろしいスピードで走るには「信頼」が必要だ。
チームやメカニックが全面的にバックアップしているという信頼や(時々これがなくなってどうしようもない時さえあるが)、自分の乗るマシンに対する信頼、コースが安全だという信頼だったり、自分を応援してくれている家族やファンに対する信頼だったり、戦いで必ず生き残ってやるという自分自身に対する自負や自信だったりだ。

レースは勝つ時もあれば当然負ける時もある。
負けた時にどのように次のレースに自分を持っていくかという試練もある。
こればかりはライダーたちの精神的な強さが求められるのかもしれない。
気持ちの持ちようは他人にはどうしようもないからだ。
いつまでもくよくよし悲観していてもダメだし(しかしくよくよしながら走り続けているライダーもいるw)、ただ何も考えずに楽観的に挑んでもダメだし、ひたすら「自分が悪かったから」とメカニックに伝えるべきことを伝えられないような控えめさだけでもどうにもならない。
巻き添え転倒をくらってリタイアすることだってあるけど、それも「あいつが悪い!」と腹を立てているだけでもダメだ。(これが致命的にポイント争いに関わる場合でも)
逆に怒りをストレートにぶつけることができなければチームがまとまらない時もある。

どのスポーツでもいえることだが、すごいスピードで走っていても、自分への応援というのは大きな力になるのだそうだ。
特に遠い海外でのレースの場合、視界に入る日の丸や「がんばれー!」という声援はとてもありがたいものなのだと。
同時にそういったプレッシャーに耐え、応援に応える精神力も求められる。
結果が出なければ翌年は「レーサー」でいられるかどうかも分からない厳しい世界で、無茶な走りで転倒し怪我をすればそれで終わりなのだ。

だから、「レーサーがレースで死ねれば本望」などというのは全く違うと思う。
少なくとも、私が知るライダーたちの目標や志は「レースで死ぬこと」なんかじゃない。
当たり前だが「勝つこと」であり「完走すること」だ。
そのためには「ケガをしない」「転倒しない」ということも大切だとみんなよく分かっている。




不思議なもので二輪のレーサーは「速い=人気がある」というものでもなく、どこか人間的な魅力がないとファンもそっけなかったりする。
そういう意味でも、ノリックのような人気のあるライダーは日本の二輪レース界においても稀有な存在だった。
ただ速いだけでなく、ファンを大事にするライダーとしても人気があった。
現在世界王者と呼ばれているV.ロッシがずっと若い時から憧れるような存在だったライダーであるように、目標とされるライダーでもあったのだ。
昨日の告別式にはそのロッシからも弔電が来たと聞いた。

国によっても彼らのステータスはずいぶん違い、イタリアやスペインでの彼ら「レーサー」の知名度や成績による接遇のよさは時に「国賓」並の扱いを受け、名誉を伴う場合もあるほどだ。
日本人で外国の王室・皇室に謁見を許された人物はそうそういないだろう。

「名誉」

日本のファンの間でも使われることの少ない言葉(感覚)な気がするなぁ…。
それはレースに限ったことではなく社会的な風潮なのかもしれないけれど。
世界の二輪レースで「名誉」が重んじられるのは、危険と隣り合わせであるという事実も多分にあるのだろうと思う。(F1でもそうなのだろうけど)

厳しいギリギリの状態で戦い、生き残り、そして勝つ。

勝ったものには賞賛されるだけの価値がある、という意味で「名誉」が与えられるのだ。

ノリックもその一人だった。




だから「プロのライダーが公道で事故って死ぬなんて恥だ」などと分かったようなことは言ってほしくない。
あってはならないことだけれども、事故は起きてしまい、プロのライダーだろうと避けられない事態だってある。
ノリックは(他のライダーもそうだけど)レースで走るだけでなく、バイクの安全運転講習会や体験学習といった、バイクを楽しむための啓蒙活動にも多く参加していた。
あの日その時間にバイクに乗っていなければ、なんて言おうと思えば言えることだけれども、一部で言われていたように「スピードを出しすぎていたんだから死んで当然」などと知ったように言ってほしくない。

私は自分がバイクに乗っているから(亀ライダーだけども)なんとなくだけど分かる。

ライダーってのは、単純にバイクがスキなのだ。
バイクというマシンが大好きなのだ。
公式レースもプライベートも関係なく。
だからこそレーサーになったわけで。





ノリックはその語り口も軽やかで、実際の走りからも解説からもレースとバイクの楽しさを教えてくれたライダーの一人だった。

だからまだ32歳で亡くなったことが本当に残念でならない。
ただただ悔しく残念だ。
多分、遺影を前にしてもまだ言葉が出ないだろう。
昨日はノリックらしい晴れたすがすがしい青空が広がっていたそうだ。

★【Norick Abe Official Website





伊藤真一というもうひとり好きなライダーがいるのだが、彼は個人的な友人としても葬儀に参列していたと知って少し意外だった。
ノリックと伊藤はライダーとしての性格が正反対だと思っていたから。
伊藤がまたくよくよとしていなければいいが…。

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