FC2ブログ

小さなお茶会 ~じるこん堂へようこそ~

匂いの迷路をひげの指すとおり進めば 少々思わぬことに出くわしても辿りつける…かも。

02« 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.»04

このページの記事一覧

原田の走りはやっぱカッコイイ…。 


この1997年(平成9年)のドイツGP(ニュルブルクリンク)のレースも個人的にはすっごい名勝負で大好き。

1 = 赤(ホンダ) ビアッジ Biaggi(伊)
19 = シルバー&グリーン(ホンダ) オリビエ・ジャック Jaque(仏)
2 = 赤(ホンダ) ウォルドマン Waldmann(?)
31 = 黒(アプリリア) 原田哲也 Harada(日)


★【1997原田哲也WGP250 R9 ドイツGP】解説:福田さん



原田、かっこええ…。ぽわわわん\(//∇//)\♪

抜きつ抜かれつのもつれ合いで最終ラップまで激闘の4台。
マシンが接触するようなギリギリの攻防の末、誰がチェッカーを受けるのか最後まで分からない。
ここしかない!とS字で突っ込んだジャックとビアッジが絡んでしまい2台でオーバーラン。
あわやコースアウトになりかねない場面でも耐え、絶妙なマシンコントロールで曲げてきたビアッジ。
しかし、切り返しで立ち上がりが遅くなった2台を後方から冷静に捉えていたウォルドマンと原田。
すかさずアウト側からウォルドマン、そしてその後にイン側から原田!
鋭い加速で最終コーナーへ飛び込み、ストレートラインでジャックをブロックしつつ原田チェッカーーーっ!!
原田、このシーズンの3勝目を素晴らしい逆転劇で優勝したのだった。





★【ニュルブルクリンクとは?】『MotorZ』より


ドイツ北西部アイフェル地方にある、ニュルブルク城を囲むように建設されたサーキット。
コースは2つ。
○北コース:Nordschleife、ノルトシュライフェ(赤囲い)全長20.832km
○GPコース(青囲い)5.1km

伝統あるニュルブルクリンク北コース。*通称「グリーンヘル」(緑の地獄)
1周20.8km、高低差約300m、コーナー数172という超難コースに加え森林の中を抜けるため天候による影響も大きい。
24時間耐久レース等は、北コースとGPコースを組み合わせた、全長約25kmのコースで行われている。



海外のサーキットとか色々行ってみたいところあるんだけれど、このドイツ(ニュルブルクリンク)とかオランダ(アッセン・TTサーキット)とかいつかレースに合わせて行ってみたいわぁ(´ω`人)




★【WGP 1994 Japan
くはあっ!WGP(500ccクラス)デビューしたてのノリックシュワンツドゥーハンにからんでます。そうそう!私の中のシュワンツは、このスズキ・ガンマラッキーストライクカラーだ。



ノリックの鮮烈な走りに霞んでしまったけど、伊藤真一が地味ーに3位とシュワンツと表彰台にあがってた…。






<後年追記>

=1994年WGP第3戦(日本GP)の結果=
○125ccクラス 優勝:辻村猛(大阪の愉快なにいちゃん)
○250ccクラス 優勝:岡田忠之(寡黙な燻し銀。転ばす地道にポイントを稼ぐ)
○500ccクラス 優勝:ケヴィン・シュワンツ!(走っても転んでも派手w) *3位に伊藤真一(内省的なくよくよライダーw)

ちなみにこの年は125ccクラスで坂田和人(カズート:アプリリア)、上田昇(ノビー:ホンダ)、辻村猛(辻やん:ホンダ)の3人で年間14戦中10勝し、年間チャンピオンは坂田和人!(坂田は解説も大好き!)

250ccクラス年間チャンピオンは、ビアッジ(優勝5回、リタイア3回)、2位がいつの間にかの岡田忠之(優勝2回、台乗りできなかった試合8回も全14回参戦)、3位がカピロッシ(優勝含め台乗り9回だがリタイヤも4回)。
500ccクラス年間チャンピオンは、ドゥーハン(優勝9回含め全試合台乗り)、2位カダローラ(略)、3位コシンスキー(略)、シュワンツは終盤3戦が不戦の11戦参加で4位だった。





ノリック(阿部典史)が世界選手権(500ccクラス)で初めて優勝した1996年(平成8年)の鈴鹿サーキット。この最高峰クラスでの日本人の優勝は14年振りだった。

★【WGP 1996 Suzuka Norick


男泣きってやつです。
1996年のWGP第3戦目(日本GP)でヤマハのエースとして初優勝。
ノリックはこの時まだ20歳!


そのノリックが後年ヤマハに移籍してきたロッシをインタビューしている。
…ノリック、おまえってほんと素直でイイ奴だよ。
いいやつ過ぎて泣けてくるよ(> <,)。









ワイルドカードで参戦デビューしたノリックのあの1994年(平成6年)日本GPのレースは、あと三周のところでスリップダウンしちゃって転倒リタイヤだったけど、予選のときから車椅子で監督デビューしたウェイン・レイニーからオファーが来てたという。
レイニーが車椅子になってからもいろいろなライダーたちから尊敬されている理由がちょっとわかったような気がした。







★【Norick Memorial by G+


…うっ(T^T)。


こんなのもあった…。

★【記念加藤大治郎

ううっ(> <,)

大治郎はたぶん海外のプレスからみても不思議なライダーだったと思う。
毎度のレースで表彰台に上がる上位3位までのライダーは記者会見するのだが、外国人ライダーたちは自分のレース展開についてマシンの性能や他のライバルたちとの駆け引きをどうしたとかよどみなく解説することが多い。
だ の に 、大ちゃんはいつまで経っても英語ではしゃべれなかったし、日本語のコメントも

「えーと、…勝ててよかったと思います。
うれしいです」(にこー)

とか、

「(自分の乗っている)バイクが速かったからよかったと思う」(にこー)


とか、「だからどこがどーよかったのよ!」とプレスが突っ込みたくなるような舌足らずな感じが多かった。
海外のプレスからすると、大ちゃんみたいにぼーっとして頭悪そうな(多分!)話しかできないヤツがレースで勝てるってのが理解できなかった部分があるらしい。

そこでついたあだ名?が「お魚ライダー」
魚みたいに何を考えているのかまったく分からない!という意味らしい。
激しい喜怒哀楽も出ないし。
ある日のレース後には、正式な記者会見とは別に大ちゃんだけ呼び出されて改めてインタビューの場が設けられた。(たしかスペインGPかイタリアGPだったような)

ひとり居残り会見させられた大ちゃんはちょっとびびりつつ「なんでボクだけ…?」と思ったらしい。
プレスからはみっちり質問攻めにあったそうだが、答える内容がそう変わらなくてますます記者たちを理解不能にさせたという。
でも人気あったんだよ。

セッティングを理解していないとモンスターバイクなんか乗りこなせない(まして速く走れない)と言われているのに、世界選手権にフル参戦してからしばらくも

「セッティングって…正直よくわかならかったんだよね。
テスト走行中もどうだった?って聞かれるんだけど、なんて答えていいか分からなくて、なんとなく?乗ってたっていう感じで」


と答えていたインタビューには笑った。
でもある日のセッティングでステップだかハンドルの角度を数ミリ変えただけですごく走りやすい!と感じたことがあり、

「セッティングってそーゆーことだったのか~!って最近やっとわかってw
セッティングっておもしろいね~」


とうれしそうなのにも笑った。
つーか素人じゃないんだからとメカニックもびっくりだったことだろう。
(知らずに乗ってたのかい!)って。


「ほんとにこの青年はライダーなのか???」

と普段の姿からみんながそう思うらしいのだが、コースに走り出るとタイトでシャープ、そしてクリーンなラインディングで観るものを魅了させるすっごいライダーだった。
おさかなライダー」って揶揄のつもりだったと思うけど言いえて妙で大治郎らしくって結構好きなネーミングだったな、私は。




★【To Daijiro with all my love



★【Daijiro kato #74#


走っている動画はないけど、大ちゃんへの愛があふれております。
ありがとうございます。




ノリック、ロッシ、坂田、治親、原田が10年前の1997年のTV番組(テレビ大阪)でカート対決しとる…。
★【GP Riders on kart #4
ちょうど10年前、ノリックもロッシもまだカワイイ~。



どーでもいいがロッシ(まだ18歳)はお遊びのカート対決でも勝っとるの…。
★【GP Riders on kart #1(125ccクラス)
つーか負けず嫌いの坂田(この頃すでに30歳、でも少年)ってやっぱ好きだわw



★【GP Riders on kart #3(500ccクラス)
ああ、この頃って青木琢磨もまだ車椅子じゃないんだよな。
琢磨の走りもすっごいスキだった。(性格は?だったけど)
変な表現だけど、「ハンサムな走り」で、サーキットを走り抜ける背中がかっこよかったのなんの!



ちょっwww原田とカピロッシにジャックがカートでもマジ対決!?w
★【GP Riders on kart #2(250ccクラス)
カピ~~~#おまえというヤツはお遊びのカートでも汚いレースを…。
普段は愉快なイタリアンなんだろうけどさぁ。

この年のカートレースは私が知ってるレーサーたちがみんな元気で和気藹々で楽しそうで、見ているうちに青春時代を振り返るオヤジのようなセンチメンタルな気分になってしまったぜ…。
1997年(平成9年)でみんなと一緒に愉快にカートレースしてた原田とカピロッシが、翌年の1998年(平成10年)のWGP本戦であんな後味の悪い戦いをするのだから。


でも、それがレースなのだ。






本戦のレースでこんな雰囲気のライダーたちが、普段はあんな普通で愉快な人々だというのもギャップがあっておもしろいんだよねー。

★【『Turn8 ラグナセカの青い空』予告編


アメリカ、カリフォルニア州はラグナセカ。(ウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカ
なぜか昔から知っているような気がしたのは『バリ伝』のおかげですw
郡が敵地アメリカでヒールなライダー役として扱われ「おもしれぇじゃねーか!」とクレイジーな走りでレースを熱狂させたのはマンガでは1980年代だったっけか?

映画ではラグナセカでのGP開催は1994年以降11年振り、ということなので2005年のレースですかね。
ロッシ(ヤマハ)の目線で描かれています。


Turn8(ターンエイト)コークスクリュー(この名前も『バリ伝』からので馴染み深いw)
まるでジェットコースターのような高低差のあるコーナー、左にターンしたらすぐに右に切り返す難易度の高いコーナー。
コークスクリューを制するものがラグナセカを制するのだ。


★【ターン・エイト ラグナセカの青い空




そして、映画『FASTER』(2003年)へ戻り、『FASTEST』(2011年)へ続く。

★【『FASTER』予告編】マーク・ニール監督(2001〜2002年撮影)ナレーション:ユアン・マクレガー






★【MotoGP Rd 3 Turkey 2007 part 1






そして、レースも続いていくのだ。







<後年追記>

★【原田哲也 レース引退を宣言】MotoGP.comより
そんな原田も2002年最終戦のバレンシアGPを最後に引退を表明。



会見場に姿を見せたビアッジは、生涯のライバルの引退について、
250ccクラス時代に、ウォルドマン、ジャック、中野ら信じられないライダーたちと走ってきたが、テツヤは僕の真のライバルだった
1993年にワールドチャンピオンに輝いたとき、全く新しいスタイルをグランプリに与えた。全く異なったラインを走っていたし、僕は彼から多くのことを学んだ。
この世界は彼の引退を悲しむだろう。
テツヤは全ての時代において、最高のライダーの1人だ。

と悲しげに語った。



もう、ビアッジのこんなところが大好きさ!(´pωq`)

バイク *  TB: 0  *  CM: 0  * top △ 

この記事に対するコメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL
→http://ilovemannga05.blog39.fc2.com/tb.php/198-e09d1a7e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)