小さなお茶会 ~じるこん堂へようこそ~

匂いの迷路をひげの指すとおり進めば 少々思わぬことに出くわしても辿りつける…らしい。

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ルネさんの時代 ① 

前回でベルギーについて書いたので、ルネさん(画家ルネ・マグリット1898~1967)についてもう少し。
ルネさん
ルネさんが生きていた時代がどんな時代だったか、それを知るには同時代を生きた人々にどんな方がいるか何人か並べてみることでその雰囲気が感じられるのではないでしょうか。
という訳で、ルネさんが生きた時代の10年前後に生まれた有名人を人名辞典から適当に抜粋してみました。
←Photo by Duan Michals 1965年




アメデオ・モディリアーニ
モディリアーニ (別名:モジリアーニ
Amadeo Modigliani
モディリアーニ・黒いネクタイの女
1884年07月12日~1920年01月25日
[イタリア] [美術]
[アメデオ・モディリアーニ 人物情報]
イタリアの画家。1884年トスカーナ地方リヴォルノに裕福なユダヤ人の子として生まれる。1906年にパリに移住した後は生涯のほとんどをパリですごした。はじめは彫刻家として活動し、31歳頃から絵画に転向し、単純化された形と優美で哀調を帯びた独自の画風を創り上げた。 アルコールや麻薬で乱れた生活を送り、1920年街頭で倒れてモンパルナスの慈善病院で死去した。





竹久 夢二
タケヒサ ユメジ
Takehisa Yumeji
竹久夢二
1884年09月16日~1934年09月01日
[日本] [美術]
[竹久夢二 人物情報]
日本の画家・詩人。1884年岡山県邑久郡本庄村に造り酒屋の子として生まれる。1901年上京し、早稲田実業で学ぶ。新聞・雑誌などにさし絵や詩を寄稿し、1905年「文章世界」にコマ絵「筒井筒」で一等入選し、世に出た。1909年絵入り小唄集『春の巻』がベストセラーとなり、ロマンティックな夢二美人は一世を風靡した。1918年『宵待草』全国に流行。1931年からアメリカ・ヨーロッパに渡り、新しいスタイルを模索するものの、1934年49歳で死去。 竹久夢二が残した多くの美人画は「夢二式美人」と呼ばれ、人気を博した。また、本の装幀、楽譜の表紙、絵葉書やポスターなど、様々な形でデザインの才を発揮し、グラフィックデザイナーの草分けでもある。





ミース・ファン・デル・ローエ
ミースファンデルローエ
Ludwig Mies van der Rohe
バルセロナチェア
1886年05月27日~1969年08月17日
[ドイツ] [美術]
[ミース・ファン・デル・ローエ 人物情報]
ドイツの建築家。無駄をそぎ落としたデザインが特徴で、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ヴァルター・グロピウスとともに近代建築の四巨匠と称される。1886年アーヘン生まれ。父の会社で左官修業をし、1905年ベルリンに出て1907年に初めて建物の設計に携わった。1919年からノーヴェンバー・グルッペに加わり、建築の近代化運動を行った。1926年ドイツ工作連盟副会長に就任。以後、バルセロナ博覧会のドイツ館、チェコのトゥーゲントハット邸などを手がけ、1931年にはベルリン建築展の住宅部「我々の時代の住宅」を担当している。1938年にアメリカに移住。シカゴのイリノイ工科大学教授を務めた。1966年AIA(アメリカ建築家協会)金メダル、ドイツ建築家協会より金メダルを受賞している。代表作は他にシーグラムビル(ニューヨーク)など。





谷崎 潤一郎
タニザキ ジュンイチロウ
Tanizaki Junichiro
谷崎潤一郎・痴人の愛
1886年07月14日~1965年07月30日
[日本] [文学]
[谷崎潤一郎 人物情報]
日本の作家。1886年東京生まれ。
生家は印刷所を営み、幼少期は裕福であったが父の事業の失敗により苦学した。東京帝国大学国文学科で学ぶが1911年授業料未納のため中退。1910年和辻哲郎らとともに第2次「新思潮」を創刊。文筆活動を続けるが評価されなかった。しかし1911年「三田文学」において永井荷風に耽美主義的作風が激賞され、文壇に登場することになる。「悪魔主義」とも呼ばれ官能美と陰のある世界を展開した。1923年関東大震災により関西に転居すると、伝統的な作風へと変化していった。1965年死去。享年79歳。震災後は代表作は『痴人の愛』『卍』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』など。





ル・コルビュジエ
ルコルビュジエ
Le Corbusier
コビジジュエ・シェーズロング
1887年10月06日~1965年08月27日
[フランス] [美術]
[ル・コルビュジエ 人物情報]
スイスに生まれ、フランスを中心に活躍した建築家。本名、シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ。1887年スイスのル・シャードゥ・フォンに生まれる。応用芸術学校で学んでいた際に建築への道を勧められる。フランスやドイツの建築事務所で働いた後、1912年からラ・シャードゥ・フォン芸術学校で教鞭をとった。1917年パリで画家のアメデ・オゼンファンと出会い、ピュリスム運動を展開。1920年には2人で雑誌「レスプリ・ヌーヴォー」を創刊した。1925年パリ装飾美術展でエスプリ・ヌーヴォー館を設計。1929年サロン・ドートンヌに家具デザインを出品している。ル・コルビュジエは建築界の重鎮としてそのデザイン理論とともに更新に大きな影響を与えた。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロピウスと共に近代建築の四大巨匠の1人とも称される。





ジョージア・オキーフ
オキーフ
Georgia O'Keeffe
オキーフ・鹿の頭の骨
1887年11月15日~1986年03月06日
[アメリカ] [美術]
[ジョージア・オキーフ 人物情報]
アメリカの画家。20世紀の近代美術を代表する人物。1887年ウィスコンシン州サン・プレーリーに生まれる。シカゴ美術研究所、ニューヨークのアート・スチューデント・リーグで学ぶ。商業デザイナーや美術教師で生計を立て、アルフレッド・スティーグリッツに見出されて1917年に最初の個展を開いた。その後スティーグリッツと結婚した。1949年にニューメキシコに移住。砂漠の風景や動物の骨や花などをテーマに描いた。





ジョルジュ・デ・キリコ
キリコ
Giorgio De Chirico
デ・キリコ・美しい一日の憂鬱
1888年07月10日~1978年11月20日
[イタリア] [美術]
[ジョルジュ・デ・キリコ 人物情報]
1888年イタリア人の両親の元、ギリシャで生まれる。若くして両親を亡くしヨーロッパ各地を転々とする。1910年頃から謎めいた絵を描き始め自ら「形而上絵画」と呼んだ。透視画法を使用したこの絵画は、パリの前衛芸術運動の中で注目を集めた。後のシュルレアリストの原点といわれ、後進に多大なる影響を与えた。





マン・レイ
マンレイ
Man Ray
マン・レイ
1890年08月27日~1976年11月18日
[アメリカ] [美術]
[マン・レイ 人物情報]
アメリカの写真家。本名、エマニュエル・ロドニツキー。
1890年フィラデルフィアに生まれ、7歳でニューヨークに転居した。ニューヨークの美術学校で美術を学び、後に独学で写真を始めた。1914年「291」で展覧会を開き、翌年マルセル・デュシャンらとともにニューヨーク・ダダを創立。1921年パリに渡り、シュルレアリストとして活躍した。1940年、第2次大戦の戦火を避けてアメリカに帰国した。





アガサ・クリスティ
クリスティ
Agatha Christie
アガサ・クリスティー・ブラックコーヒー
1890年09月15日~1976年01月12日
[イギリス] [文学]
[アガサ・クリスティ 人物情報]
イギリスの推理作家。「ミステリーの女王」と称される。数多くの作品を残したが、中でも「名探偵ポワロシリーズ」と「ミス・マープル」が良く知られている。1890年デヴォン州トーキーに生まれる。正規の学校教育は受けず、母
親から教育を受けた。結婚後、第1次大戦中が起こると篤志看護隊に志願して看護助手・薬剤師としてトルコに従軍した。この経験が毒薬を用いた小説に役立っているという。1920年『スタイルズ荘の怪事件』で推理作家デビューした。代表作は他に『オリエント急行殺人事件』『ABC殺人事件』『そして誰もいなくなった』など。





ジョン・トールキン
トールキン
John Ronald Reuel Tolkien
トールキン・指輪物語
1892年01月03日~1973年09月02日
[イギリス] [文学]
[ジョン・トールキン 人物情報]
イギリスの作家・言語学者。1892年現在の南アフリカのブルームフォルテンで生まれる。3歳でイギリスに戻る。オックスフォード大学エクセター・カレッジ卒業後、同校などで言語学の教授を務めた。自分の子どもたちのために聞かせていた話をまとめて1937年『ホビットの冒険』として発表、評判を得、1954年から続編の『指輪物語』を発表した。この作品は空前の成功を収め20世紀でもっとも人気のある小説ともいわれる。同作は2001年からピーター・ジャクソン監督によって映画化されている。





芥川 龍之介
アクタガワ リュウノスケ
Akutagawa Ryunosuke
芥川龍之介
1892年03月01日~1927年07月24日
[日本] [文学]
[芥川龍之介 人物情報]
日本の作家。1892年東京府京橋区入船町に生まれる。生後間もなく母が発狂したため母の実家の芥川家で育てられ、10歳で母が亡くなると伯父の養子となった。 東京帝国大学英文科在学中に菊池寛らと共に同人誌「新思潮」に参加。1916年『鼻』が夏目漱石に絶賛され、「新小説」に転載され文壇に登場する。
大学卒業後、横須賀の海軍機関学校で英語教師を務める傍ら執筆活動を続けた。1919年、文筆に専念するために教職を辞し、原稿執筆の契約のみという形で大阪毎日新聞社に入社する。その後、時代が変化する中、神経を衰弱させ健康をくずした。創作活動も衰えを見せ、1927年35歳で自殺した。芥川龍之介は今昔物語などの古典を題材に、理知的で完成度の高い短編を多く残し、近代日本の小説の原型をかたちづくった。死の8年後には菊池寛によって「芥川賞」が設けられた。代表作は『羅生門』『杜子春』『蜘蛛の糸』『芋粥』『藪の中』など。





ノーマン・ロックウェル
ロックウェル
Norman Rockwell
ノーマン・ロックウェル・注射の前に
1894年02月03日~1978年11月08日
[アメリカ] [美術]
[ノーマン・ロックウェル 人物情報]
アメリカの画家・イラストレーター。幼少から絵に親しみ、ロックウェルは、12歳では画家になる決心をした。その後1910年「ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン」で絵を学び、17歳で初めて本に挿し絵を描いてデビュー、19歳で「ボーイズ・ライフ」誌のアートディレクターになった。22歳のとき、「サダデーイブニングポスト」誌の表紙絵を担当。以後、47年間に渡り300作品を超える表紙を描きました。作品は古き良きアメリカの日常風景をユーモアやペーソスに富んだ視点で描き出されている。





江戸川 乱歩
エドガワ ランポ
Edogawa Ranpo
江戸川乱歩・怪奇四十面相少年探偵
1894年10月21日~1965年07月28日
[日本] [文学]
[江戸川乱歩 人物情報]
日本の作家。本名、平井太郎。「江戸川乱歩」はエドガー・アラン・ポーをもじったもの。 1894年(明治27年)現在の三重県名張市に官吏の子として生まれる。3歳で名古屋に転居し、名古屋で中学校卒業まで過ごした。 1916年早稲田大学政経学部卒業後、弁士や古本屋、ソバ屋、新聞記者など様々な職業を経験した。 1921年『二銭銅貨』と『一枚の切符』を執筆し「新青年」に送ったところ、森下雨村に評価され、翌年同誌に掲載された。1924年作家で生計を立てることを決意して大阪毎日新聞広告部を退社。1925年『心理試験』でベストセラーとなり、さらに『人間椅子』『赤い部屋』『双生児』などが人気を博し、作家としての地位を確立した。 昭和に入ると通俗探偵小説を発表、戦後には後進の育成活動や評論など、文筆以外の活動も盛んにおこなった。 1954年「江戸川乱歩賞」設置。





アンドレ・ブルトン
ブルトン
André Breton
ブルトン・魔術的芸術
1896年02月18日~1966年09月28日
[フランス] [文学]
[アンドレ・ブルトン 人物情報]
フランスの詩人・作家。シュルレアリスム運動の指導者のひとり。
1896年ノルマンディー地方のタンシュブレーで生まれる。
第1次大戦後、ダダを受け入れてルイ・アラゴンらと機関誌『文学』などを発表。1924年にはシュルレアリスム宣言を発表した。





宮澤 賢治
ミヤザワ ケンジ (別名:宮沢賢治
Miyazawa Kenji
宮沢賢治・雨ニモマケズ
1896年08月27日~1933年09月21日
[日本] [文学]
[宮澤賢治 人物情報]
日本の詩人・童話作家。1896年(明治29年)質屋と古着屋を営む商家の子として現在の岩手県花巻市に生まれる。 盛岡高等農林学校で地質学や土壌学を学ぶ傍ら、童話などの創作もおこなった。1921年に上京するが、妹の病気によって花巻に帰郷し、花巻農学校教師として農業指導をおこなった。1924年『春と修羅』『注文の多い料理店』を発表。その後1926年に退職して独居自炊生活を送りながら創作活動に取り組み、同年羅須地人協会を設立している。1933年結核により死去。 法華経を敬信し、文学以外にも地質学や天文学、生物学などにも造詣が深かった。 代表作は他に「雨ニモマケズ」『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』など。





ポール・デルヴォー
デルヴォー
Paul Delvaux
ポール・デルヴォー
1897年09月23日~1994年07月20日
[ベルギー] [美術]
[ポール・デルヴォー 人物情報]
ベルギーのシュルレアリズム画家。1897年アンテートで弁護士の子として生まれる。はじめは建築家を目指したが、画家を志して22歳で美術学校に入学し、1924年に美術展に初めて出展した。1934年ごろからデ・キリコの影響を受けはじめ、古代ギリシャ風、都市・鉄道・サイレンなど、独自の画風とテーマを追究していった。1994年96歳で死去。





伊東 深水
イトウ シンスイ
Ito Shinsui
伊東深水・浴後
1898年02月04日~1972年05月08日
[日本] [美術]
[伊東深水 人物情報]
日本の日本画家。1898年(明治31年)東京生まれ。1911年、13歳で日本画家の鏑木清方に入門。1912年には巽画会展に「のどか」で初入選。大正3年「桟敷の女」で院展、翌年「十六の女」で文展入選。その後、新版画運動に共鳴し、木版画「対鏡」を制作。雑誌や新聞小説の挿絵、口絵なども手がけた。1927年には深水画塾を設立。1948年「鏡」で日本芸術院賞受賞。1958年日本芸術院会員。 伊東深水は女性の美しさを生涯にわたって描き続け、日本画界に美人画の世界を築いた。江戸時代の浮世絵の伝統を受け継ぐ最後の美人画家とも称される。





アルヴァ・アアルト
アアルト
Hugo Alvar Henrik Aalto
アルヴァ・アントチェア
1898年03月02日~1976年11月05日
[フィンランド] [美術]
[アルヴァ・アアルト 人物情報]
フィンランドの建築家・家具デザイナー。1898年クォルタネ生まれ。ヘルシンキ工科大学で建築を学んだ後、展示デザイナーとして活動。1923年に建築に転向、1925年には家具デザインに進出、イッタラ社のベースや積層合板の椅子、サナトリウム用のパイミオチェアなどの代表作を送り出した。1937年パリの博覧会、1939年年ニューヨーク万博に出品し、絶賛を受ける。1957年英国建築家王立研究所より金メダルを授与される。





佐伯 祐三サエキ ユウゾウ
Saeki Yuzo
佐伯祐三・テラスの広告
1898年04月28日~1928年08月16日
[日本] [美術]
[佐伯祐三 人物情報]
日本の洋画家。1898年(明治31年)大阪市で寺の次男として生まれる。1917年に上京し、川端画学校で藤島武二に師事。1924年東京美術学校(現:東京藝術大学)卒業後、渡仏。ヴラマンクを訪問するが、作品を「アカデミズム」と一蹴された。これが画家としての転機になったといわれる。1926年に帰国し、翌年再びフランスに渡ったが1928年に結核で死去した。





エッシャー
エッシャー
Maurits Cornelis Escher
エッシャー・滝
1898年06月17日~1972年03月27日
[オランダ] [美術]
[エッシャー 人物情報]
オランダの版画家・画家。永遠に水が循環する滝や、いつのまにか魚に変わる鳥といったトロンプ・ルイユ(騙し絵)で有名。 1898年レーウヴァルデンで生まれる。ハーレムの建築装飾美術学校で学び、後にポルトガルのS.J.デ.メスキータに師事。 幾何学的なパターンと独特な作風により美術界からは長年異端児扱いされていたが、高度な画面構成に着目した数学者から評価が広がり、現在では世界的に高い評価を受ける。





近衛 秀麿
コノエ ヒデマロ
Konoe Hidemaro
近衛秀麿
1898年11月18日~1973年06月02日
[日本] [音楽]
[近衛秀麿 人物情報]
日本の作曲家・指揮者。山田耕筰と共に、日本のオーケストラ活動の礎をつくった。公爵近衛篤麿の次男として1898年東京に生まれる。兄は後総理大臣となった近衛文麿。学習院、東大美学(中退)で学んだ後パリ、ベルリンに留学。1924年にはベルリンフィルを指揮している。 1925年、山田耕筰と共に民間初の本格的オーケストラである日本交響楽協会を結成。その後、新交響楽団(現NHK交響楽団)を設立。新交響楽団の指揮者を辞してからは欧米各地の客員指揮を務めた。





ルネ・マグリット
マグリット
René François-Ghislain Magritte
マグリット・アルンハイムの領地
1898年11月21日~1967年08月15日
[ベルギー] [美術]
[ルネ・マグリット 人物情報]
ベルギーの画家。20世紀シュルレアリスムを代表する画家。 1898年レシーヌに生まれる。13歳のとき母親が自殺。これは後年のマグリットの作品にも少なからぬ影響を与えた。 ブリュッセルの美術学校で学び、当初は印象派の影響を受けた絵を描いていた。1922年デ・キリコの作品に感銘を受け、「迷える競馬騎手」をはじめとしてシュルレアリスム作品を描くようになる。その後はシュルレアリスムを代表する画家として積極的に活動した。1956年グッゲンハイム賞受賞。





クライヴ・ステープルズ・ルイス
ルイス (別名:C.S.ルイス
Clive Staples Lewis
c.s.ルイス・ナルニア国物語
1898年11月29日~1963年11月22日
[イギリス] [文学]
[クライヴ・ステープルズ・ルイス 人物情報]
イギリスの作家・神学者・古典文学者。1898年北アイルランドのベルファストに生まれ、オックスフォード大学で学んだ。第1次大戦に従軍後、1925年からオックスフォード大学で研究員を務め、J.R.R.トールキンと出会った。トールキンの『指輪物語』に刺激を受け、代表作『ナルニア国物語』の執筆を始めたといわれる。





川端 康成
カワバタ ヤスナリ
Kawabata Yasunari
川端康成
1899年06月14日~1972年04月16日
[日本] [文学]
[川端康成 人物情報]
日本の作家。1899年(明治32年)大阪府茨木市生まれ。
2歳で父を、3歳で母を亡くし祖父母に育てられたが、15歳で祖父母を失い、孤児となる。寮生活を経て第一高等学校、東京帝国大学国文科に入学。在学中に第6次「新思潮」を刊行。『招魂祭一景』が菊池寛に認められ「文藝春秋」の同人となり文壇に登場した。1923年に横光利一、片岡鉄兵らと「文芸時代」を創刊し、1927年同雑誌に『伊豆の踊子』を発表、作家としての地位を確立した。「新感覚派」と呼ばれ精力的に執筆をおこない、『雪国』や『千羽鶴』『山の音』などの名作を発表した。1968年日本人初のノーベル文学賞を受賞。1972年自殺。作家活動以外にも日本ペンクラブ会長、世界平和アピール七人委員会などでも活動し、批評家としても知られた。




金子 みすず
カネコ ミスズ (別名:金子みすヾ
Kaneko Misuzu
金子みすず
1903年04月11日~1930年03月10日
[日本] [文学]
[金子みすず 人物情報]
日本の童謡詩人。本名、金子テル。
1903年(明治36年)現在の山口県長門市に生まれる。1923年金子みすヾのペンネームで「童話」「金の星」などの雑誌に童謡を投稿。西條八十から「若き童謡詩人の巨星」との激賞を受けた。1926年には『日本童謡集』に北原白秋や西條八十、野口雨情らと並んで2編が掲載されるが、夫の反対を受けて創作を絶った。1930年に離婚後、26歳の若さで自殺した。死後に作品は散逸し、幻の童謡詩人となったが死後半世紀を経て遺稿集が出版された。




山本 周五郎
ヤマモト シュウゴロウ
Yamamoto Shugoro
山本周五郎・さぶ
1903年06月22日~1967年02月14日
[日本] [文学]
[山本周五郎 人物情報]
日本の作家。1903年(明治36年)山梨県生まれ。1907年に山津波で家を失って上京。小学校卒業後、東京の質屋、山本周五郎商店で徒弟として働く。16歳頃から小説を書き始め、1926年『須磨寺附近』で文壇に登場する。1943年『日本婦道記』が直木賞となるが受賞を辞退。権力を嫌い、「庶民派」として知られる。読者から小説が認められればよいとして賞の類はすべて断った。代表作『さぶ』『赤ひげ診療譚』『樅の木は残った』など。




クラウディオ・アラウ
アラウ
Claudio Arrau
クラウディオ・アラウ
1903年02月06日~1991年06月09日
[チリ] [音楽]
[クラウディオ・アラウ 人物情報]
チリのピアニスト。1903年チリのチジャンに生まれる。2歳でベートーヴェンを聞き分けたという。自然にピアノを覚え、チリ政府から奨学金を受けて弱冠8歳でベルリンに留学。シュテルン音楽院で学んだ。1914年11歳のときベルリンでデビュー。以後、世界中で活躍した。 アラウはドイツ・ロマン派を得意とし、「ベートーヴェンとは生まれたときからずっと一緒にいる」と語っている。深い解釈に裏打ちされた重厚な音楽と聴衆を暖かな雰囲気に包み込む演奏で多くのファンを魅了した。1991年に88歳で死去するまで生涯現役を貫た。




中原 中也
ナカハラ チュウヤ
Nakahara Chuya
中原中也・在りし日の歌
1907年04月29日~1937年10月22日
[日本] [文学]
[中原中也 人物情報]
日本の詩人。1907年(明治40年)軍医の子として山口県に生まれる。
1920年「防長新聞」に投稿した短歌が入選し、文学にのめり込んでいく。1923年、県立山口中学を落第し、京都の立命館中学校に編入学した。同年高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』を読んでダダイズムに傾倒するようになった。1929年大岡昇平らと「白痴群」を創刊。東京外国語学校を卒業後、1934年に処女詩集『山羊の歌』を発表した。その後「四季」や「歴程」の同人となり詩人としての名を挙げてるが長男を病気で失うと心身ともに衰えて1937年に30歳で死去した。小林秀雄や大岡昇平らと親交を結び、ランボーやヴェルレーヌなど、フランス詩の紹介にも努めた。






ヘルベルト・フォン・カラヤン
カラヤン
Herbert Von Karajan
ヘルベルト・フォン・カラヤン
1908年04月05日~1989年07月16日
[ドイツ] [音楽]
[ヘルベルト・フォン・カラヤン 人物情報]
ドイツの指揮者。20世紀後半を代表する指揮者で「帝王」と称された。1908年医師であり貴族の子としてザルツブルクに生まれる。ザルツブルク・モーツァルテウムとウィーン音楽アカデミー指揮科で学ぶ。1929年ウルム市立歌劇場のオペラ指揮者としてデビュー。1938年ベルリン国立歌劇場でのヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の指揮の成功で名声を得、翌年にはベルリン国立歌劇場指揮者、ベルリン国立管弦楽団指揮者に就任し、ミラノのスカラ座のオペラ指揮を担うことになった。 ナチス党員であったため、第2次大戦後はソ連軍により公開演奏を禁じられ、数年間演奏できなかった。1948年ウィーン交響楽団首席指揮者就任。1955年フルトヴェングラーの死去を受け、ベルリン・フィルの指揮者に就任。以後独裁的に同楽団を指導し、多くの名演を残した。1989年脳卒中により死去。





東山 魁夷
ヒガシヤマ カイイ
Higashiyama Kaii
東山魁夷・雪降る  東山魁夷
1908年07月08日~1999年05月06日
[日本] [美術]
[東山魁夷 人物情報]
日本の画家。20世紀を代表する日本画家。本名東山新吉。1908年横浜に生まれ、少年時代は神戸で過ごす。東京美術学校日本画科(現:東京藝術大学)在学中に「山国の秋」が帝展に入選する。卒業後、第1回独文化交換学生としてドイツに留学。 1935年父の病気のため帰国。その後1947年の「残照」で日展特選を受け、政府買い上げとなった。1950年「黄昏」で日本芸術院賞。1969年文化勲章受賞。代表作は唐招提寺御影堂障壁画など。





中島 敦
ナカジマ アツシ
Nakajima Atsushi
中島敦・李陵・山月記
1909年05月05日~1942年12月04日
[日本] [文学]
[中島敦 人物情報]
日本の作家。1909年(明治42年)東京で漢文教師の子として生まれる。1933年東京帝国大学国文学科を卒業後、高等女学校の国語・英語教師となる。18歳頃から患っていた喘息のため、1941年に退職し、療養を兼ねてパラオ南洋庁に書記として赴任した。1942年『光と風と夢』で芥川賞候補となるが、その数ヵ月後に喘息を悪化させ33歳で夭折した。 中国古典を題材にした漢文調の格調高い文章の作品を残している。作品の多くは死後に発表された。代表作は他に『古譚』『李陵』『山月記』『名人伝』など。




太宰 治
ダザイ オサム
Dazai Osamu
太宰治
1909年06月19日~1948年06月13日
[日本] [文学]
[太宰治 人物情報]
日本の作家。本名、津島修治。1909年(明治42年)青森県北津軽郡金木村で県内屈指の大地主であった津島家に生まれる。11人兄弟の10番目の子どもであった。 東京帝国大学仏文科在学中、井伏鱒二に出会い、師亊する。 在学中に左翼運動に参加するが挫折。銀座の女性と鎌倉で心中をはかり、自分だけ助かる。1935年『逆行』が第1回芥川賞の次席となり、1936年『晩年』を刊行。 1939年1月井伏夫婦の媒酌で結婚。安定した生活を送り「富嶽百景」などを執筆した。 戦後、作風は一転して自虐的になる。坂口安吾らとともに「無頼派」
と呼ばれ、『斜陽』などで人気を博して流行作家となった。 1948年6月13日に愛人の山崎富栄とともに玉川上水に入水自殺。死体が発見された6月19日は太宰の誕生日でもあり、毎年「桜桃忌」が開かれている。 太宰治の作品は、四度の自殺未遂やバビナール中毒による自虐的かつ道化的な精神で以って書かれた独特な作品である。 代表作は他に『人間失格』『走れメロス』など。


人名辞典】より参照。
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この記事に対するコメント

>gesearsさま、いらっしゃいませ。
いや、風俗嬢やキャバ嬢をつつみこむってお話じゃないんで。削除いたしました~。
【2006/02/20 22:03】
URL | こるち #- *編集*

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