小さなお茶会 ~じるこん堂へようこそ~

匂いの迷路をひげの指すとおり進めば 少々思わぬことに出くわしても辿りつける…らしい。

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秋里和国 『デッド・エンド -袋小路-』 ① 

デッド・エンド

双子のフットボール選手、マークルーカス
弟を愛するがゆえ、自分の中にある‘スター性’を恨むマーク。
彼らのたどる皮肉な運命を、イラストレーター・メイベリの目を通して鮮やかに描く、感動のグッバイ・ストーリー。
表題作ほか、「オリジナル・シン」「タイタンへの招待客」収録

(表紙裏扉より)


<作品メモ>
デッド・エンド -袋小路-』
秋里和国傑作集
小学館 【別コミ フラワーコミックス】 出版
昭和60年(1985年) 9月 初版発行
定価: 370円 (本体 359円) P189 *平成2年(1990年)第17刷発行分
ああ、消費税3%の頃ですね。橋本龍太郎め~。消費税は上がらないんじゃなかったのかよ~(怒)。中●に媚売って国まで売る気かっ(怒)。



デッド・エンド -袋小路-
別冊少女コミック
昭和59年(1984年) 10月号、11月号に掲載

オリジナル・シン -原罪-
【別冊少女コミック】
昭和60年(1985年) 7月号に掲載

タイタンへの招待客
【別冊少女コミック】
昭和57年(1982年) 11月号増刊に掲載

『巻末おまけのページ』

------------------------------

『デッド・エンド -袋小路-』
この作品は、ゴダイゴのアルバムの中にあった『DEAD-END』という曲があり、タイトルはそこから頂いた、と作中オマケの1/4ページで作者が語っております。
私はこの曲は知らないのですが、作者が

「デッド・エンドかァ、響きがいいなァ。行き止まりかァ、つかえるなァ」

と、呟いているところを見ると、どうもタイトルからストーリーが生まれたタイプの作品のようです。



この世に美男美女はたくさんいれど、スター性を持った人間になんて
そうそうお目にかかれない。

ぼくはそういう人間に出会うと直感する。

人目をひく華を持った人間。

そいつのまわりの空気が違う----

              


アメリカ人のくせにフットボールに興味が無いイラストレーター、グリフィンデザイン事務所のデイル・メイベリくん。

ある日フット・ボール教本の挿絵の仕事のため、勉強と称してプロのビデオを見ている時に、2年前サンフランシスコの駅ですれ違い、ほんの少し言葉を交わしただけの「スター性を持っている人間」を発見する。

サンフランシスコ・レパーズ新鋭のフットボール選手として活躍している双子の選手のひとり、それがマーク・センサーだった。

身長170cmの小さいながら大きな戦力と評されている、一卵性双生児の兄マークと弟ルーカス

ところが、ビデオや本の評論ではマークよりルーカスの活躍が華々しく扱われていた。

「きみはほかの人のかげに薄れてしまう類の人間じゃないはずだ!」

と納得のいかないメイベリくん。
突き動かされるようにニューヨークからサンフランシスコまでマークを取材しに押しかけていく。

ぱっと見ただけでマークルーカスを見分けるメイベリ
どうしてわかる?と問うマークメイベリはこともなげにこう言い切る。

「マークじゃないほうがルーカスさ」


メイベリは気分屋で気まぐれのマークに許可をもらって(気に入られて)マークの家に同居しながら取材をすることになる。

大学時代は帝王と呼ばれるほどのスーパーアイドルだったマーク
プロ入りしてからはてんでさえなくなり、弟ルーカスと立場が逆転したとルーカスの大学時代からの知り合いに聞かされる。

酒、煙草、マリワナ、とスポーツ選手としてとうてい健全とは言いがたいめちゃくちゃな私生活。
何より試合中にわざと人より目立たないように振舞っているように見えるマークに釈然としないメイベリ

生活に介入してくるメイベリと対立するマークだったが、ほっておけないとおせっかいを焼くメイベリに次第に心を開いていく。

取材を進め、マークの感情を受け止めていくうちに、なぜマークルーカスのかげに薄れてしまうのか気が付いたメイベリは、その原因が2年前に投げかけた自分の些細な一言にあったと知ってしまう。

マークを追い詰めその輝きを奪ってしまったのが自分だと知って、もうマークのそばにはいられないと去っていこうとするメイベリマークは…。




出ました。(いえ、もう22年前に登場していますが^ ^;)
秋里和国先生の初期作品の中でも異色とも、王道とも言える名作マンガです。

双子の兄弟もの。
聖書カインとアベルをイメージしたのが成田美名子先生の『CIPHER サイファ』なら、同じく聖書に登場する聖マルコ聖ルカをから名付けられていながら、まるで天使と悪魔、白と黒、表と裏などに模したのがこの『デッド・エンド -袋小路-』かと思われます。

ちなみに成田美名子先生の『CIPHER サイファ』の初版出版も昭和60年(1985年)7月、と同時期の作品です。

この聖マルコ聖ルカからのネーミングとなると本来はマークとルークになるらしいのですが、作中『オリジナル・シン-原罪-』で母親が、

「わたしはマークとルークにしたかったのですけれど、主人がそれじゃできすぎだ、なんて言ったものですから」

と、マークとルーカスになったとカトリック教徒らしい名前の由来がチラリと出てきます。
この2作で、双子の兄弟とりわけ兄については大学時代から幼少期~少年期の主人公の心の変遷が描かれています。

なぜマークがマークになったのか?

もともと一卵性双生児なので、見かけは全く同じ二人。
なのに、内面はその家庭環境が全く同じにも関わらず、保護者と庇護者、泣き虫臆病者とツッパリやんちゃ坊主…と鏡のこちらとむこう側のように正反対な二人。
自分が兄の影に隠れてしまうことを恐れる弟と、尋常でない愛憎の中でどうしようもないところにまで行き詰まっていく兄。
これは、そういった生き方を変えることも出来たのに最終的には自身でそれを拒んだ兄マークの物語です。

以前はこのメイベリくんのように、「スター性を持った人間」というモノに異様に憧れていた時期がありました。
いわゆる凡人にはない「オーラ」を持った人間に盲目的に心を奪われた時期が。
なんなんでしょうね。この憧れは。
若さゆえ…なんて言葉でくくってしまうには、哀しくなってしまうくらいの激しさがありました。
その「スター性を持った人間」に自分が少しでも近づけるなら、あるいはその光にほんの少しでも当たることができるなら「死んでもいい!」と本気で感じたことも。
ライブで卒倒して死んだりしたら、はたで見てればバカにしか見えないのも理解していますが、それでも渦中にいる間の至福は本人にしか分かるまい…とも分かるのです。


が、ある時期からそういった「スター性」というものにふっつりと興味を失しました。
むしろ「普通」で「普遍的」であるものに興味の対象がシフトしていきました。

だからといって、この作品に対する興味や感動を失くした…かと思いきや、それは今でも消えないんですね。
不思議です。
この物語にはどこか「普遍的」なテーマも流れているからなのではないかと思います。


ちなみにこの作中に登場するフットボールチームのサンフランシスコ・レパーズは作者の創作で実在しません。

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