小さなお茶会 ~じるこん堂へようこそ~

匂いの迷路をひげの指すとおり進めば 少々思わぬことに出くわしても辿りつける…らしい。

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秋里和国 『TOMOI』 ① 

TOMOI

<作品メモ>
TOMOI
秋里和国弐
小学館文庫】 1996年(平成8年) 3月初版発行
定価 650円(本体631円) P402

=収録作品=
・『眠れる森の美男』P3~195
  【プチフラワー】 1986年(昭和61年)3月号~7月号に掲載分

・『TOMOI』(1)P197~P260まで
  『気分は正方形』改訂版 友井さん視点の別カメバージョン
  【プチフラワー】 1986年(昭和61年)12月号掲載分
  (オリジナルは【週刊少女コミック】1983年(昭和58年)第3号に掲載)

・『TOMOI』(2)P261~P330まで
  『マンハッタン症候群(シンドローム)』改訂版
  【プチフラワー】 1987年(昭和62年)6月号掲載分
  (オリジナルは【週刊少女コミック】1983年(昭和58年)第22号に掲載・『花のO-ENステップ』第8巻に収録)

・『TOMOI』(3)P331~P400まで
  『TOMOI
  【プチフラワー】 1985年(昭和60年)6月号掲載分




この『マンハッタン症候群(マンハッタン・シンドローム)は』『気分は正方形』とほぼ同時期のお話ですが、時間軸上では「友井久嗣・エピソード3」にあたります。
オリジナルが掲載された1983年(昭和58年)当初は日本でもようやくエイズという病気について認識され始めたばかりで、その4年後の1987年(昭和62年)にやや脚本が変わったものがこの文庫版『TOMOI』には収録されています。

絵の雰囲気もかなり変化しています。

文庫版の表紙と比べると一目瞭然です。
この文庫版の発行が1996年(平成8年)で、収録作品の改訂版『マンハッタン症候群』の1987年(昭和62年)からさらに9年の歳月を経ていますので、この表紙の友井さんの絵は、改訂版の内容よりもさらに変化しています。

ちなみにこの頃(1996年頃?)は一時的に改名していた時期らしく、秋里「和国」ではなく、秋里「和国弐」で出版しています。(読み方は同じ「わくに」)
さらっと検索してみた限りでは「この時期、この字画では運勢上よろしくない」(?)という理由での改名らしい。よく分からんけど。



個人的には1983年(昭和58年)版の方が、絵柄そのものも好きなんですが、この4年の間に作者の絵が変化していますので、1986年(昭和61年)掲載の『眠れる森の美男』の時代(絵)に合わせ、まとめて1つの「友井物語」にしたものと思われます。
それがこの文庫版『TOMOI』となります。

絵柄が変わった以外にも構成やいわゆる「演出」も変わっています。
まだ稚拙でも初期作品のペン跡のざらっとした感じや人物のタイトな線などが好きなんですが、この4年後の作品ではより繊細に登場人物の心理描写を追って表現してあります。
そんなに特別大きな変化でもないのですが、例えばほんの数コマ友井さんの横顔が続くだけで、彼の「決断」がどれほど強固なのもなのかが見ている者にも伝わってくる…とか、マーヴィンの妻ナンシーが凶行にいたるまでがよりスポットをあて描いてあるとか、マーヴィンの逡巡と織り交ぜて…などという感じです。

この頃のマンガ家さんは、たまたまなのか出版社の意向なのかなぜか線が細くシャープになる傾向があるように思います。
「絵が上手くなった」ということなのですが、私は時として「上手くなった」絵よりもまだ成熟しきっていない頃の絵の方が好きだというマンガ家さんがけっこういます。
例えば、吉田秋生日渡早紀清水玲子、そしてこの秋里和国(和国弐)などです。

なんで?と考えても、単なる好み嗜好の差なので、上達した絵がキライということではないのですが…。
そういう秋里和国も最近のマンガはとんと読んでないなぁ。(遠い目)




さて、お話にもどりましょう。

友井さん1982年リチャード(ドイツ語名:リヒャルト)と別れ、1983年日本へ一時的に戻り雪弘くんをいじめて振られたうさを晴らし、N.Y.に戻ってから同じ病院の眼科医マーヴィン・ウイリアムズと再び恋に落ちます。





*「TOMI」(2)=オリジナルは昭和59年(1984年)12月に初版発行の『花のO-ENステップ』第8巻(第19話~第21話)に 収録されている『マンハッタン症候群(マンハッタン・シンドローム)』 (*【週刊少女コミック昭和58年(1983年) 第22号に掲載)







時代は1983年11月
世界がエイズの登場に右往左往し不安に混沌としていた頃。



当初、エイズという病気がゲイに多く見られる癌だったことからゲイ・キャンサー(ゲイの癌)とも揶揄されていた頃。

「あの病気は敵国の細菌説を押すね」(*オリジナルでは友井さん自身のセリフ)

「なにいってんだ、エイズは神が下された罰さ。
神は全てお見通しなんだ。
ゲイなんて不道徳なヤツらを許しておくものか。
ゲイを根絶やしにするためにまかれた種さ」


「ゲイの人権なんか認めるから…おそろしいわ。やんなっちゃう」

なんて会話もリアルに盛り込まれています。
(*オリジナルではもう少し軽い雰囲気で描かれている)


1980年代当初から、エイズ問題ゲイマンガに取り挙げた少女マンガでも珍しい例だと思います。



--日本における薬害エイズに関する年表--


1967年
コーン分画製剤(クリオ製剤、商品名AHG)の製造承認。

1970年
乾燥クリオプレシピテート製剤(商品名AHF)の製造承認。

1972年
血友病Bに対する濃縮製剤(乾燥人血液凝固第九因子複合体)の承認。

1976年
アメリカからの原料血漿および血液製剤の大量輸入の開始。

1976年7月
川田龍平君、血友病の診断。血液製剤の点滴開始。

1978年
血友病Aに対する濃縮製剤(乾燥濃縮抗血友病人グロブリン製剤)の輸入・製造が承認。

1981年7月
アメリカCDCがMMWR誌上でエイズをはじめて報告。

1982年7月
CDC、AIDSを命名。

1982年7月20日
毎日新聞、「『免疫性』壊す奇病、米で広がる」と日本で最初のエイズ報道

1982年7月
血友病児の合宿で、「危険では?」との患者の父親の問いかけに、医師は「患者さんが製剤まで心配することはない」、「環節生涯を残さないために、積極的に製剤を使った治療が望ましい」と発言。

1983年1月3日
米アトランタでの会議で血液製剤の危険性指摘。
デフォルジュ氏、NEJM誌に血友病治療の「クリオへの後退」を提案。

1983年2月
健保で血液製剤による家庭療法を承認。

1983年3月21日
FDA、血液製剤の緊急加熱を認可。

1983年4月19日
毎日新聞、「米国でナゾの伝染病」の記事掲載。

1983年6月
厚生省エイズ研究班を組織。

1983年6月
日本トラベノール社(現バイエル社)、アメリカ性血液製剤の回収措置を取ったと厚生省に報告。

1983年7月
東京医科大学病院、患者説明会を開催、「血液製剤は安全」と説明。

1984年10月
血液事業検討委員会設置。

1985年3月21日
朝日新聞、「日本にも真性エイズ」と報道。
帝京大学血友病患者がすでに死亡との内容。

1985年3月27日
ある患者は、主治医の医師から「エイズ発症の可能性は低いので、治療を続けるように」との手紙を受け取る。

1985年5月30日
厚生省帝京大学付属病院の患者をエイズと認定。

1985年7月
第八因子製剤加熱製剤の製造承認。

1985年8月
血液事業検討委員会第一次中間答申、すべての血液製剤の献血による確保を再確認。

1985年11月16日
東京ヘモフィリア友の会国立予防衛生研究所の北村敬氏を招き、講演会を開催、「エイズの発病率が高い」と発言。

1985年12月
第九因子製剤加熱製剤の製造承認。

1987年?月
神戸エイズ報道。

1987年6?月
川田龍平君、インターフェロンの注射を開始。

1988年
エイズ防止法案、強行採決。

1988年6月15日
血液製剤エイズ禍弁護団結成。

1989年5月
大阪HIV訴訟提訴(原告2名)。

1989年10月
東京HIV訴訟、提訴。

1992年3月
濃縮製剤原料を日本での献血でまかなう体制になる。

1993年9月17日
川田龍平・悦子さんが東京HIV訴訟の原告団に参加。

1994年2月末
厚生省による薬害エイズの被害者調査でこのときに4000~5000人の血友病および類縁疾患の患者のうち、1771名がHIVに感染、うち418人がエイズを発症。これは、日本のHIV感染者累積報告数(患者を含む)3247人の54.5%、エイズ患者累積報告数700人の59.7%。

1994年9月12日
川田悦子さん、全米科学アカデミーの公聴会に出席し、真相究明を訴え。

1996年5月28日
厚生省エイズサーベイランス委員会(山崎修道委員長)、国内での献血血液が原因でエイズを発症した疑いのある症例が報告されていたと発表。

1996年5月30日
ある病院で、1981年から85年にかけて、非加熱製剤を未熟児等の嬰児75名に投与していたことが判明。

1996年5月28日
衆院厚生委が元ミドリ十字社松下廉蔵氏を参考人として招致。


-----【薬害資料館】薬害エイズの年表より抜粋。



しかしまあ、友井さんの物語においては日本の薬害エイズ問題はほとんど関連はありませんので薬害エイズの歴史はこれくらいにしておきましょう。
(*以下ネタばれ注意)







そう、『気分は正方形』「友井久嗣・エピソード2」から始まった友井ストーリーですが、その次に掲載されて物語『マンハッタン症候群(マンハッタン・シンドローム)』「友井久嗣・エピソード3」で彼は愛する人を目の前で亡くしてしまいます。

眠れる森の美男』「友井久嗣・エピソード1」ではまだ、彼の恋愛は始まったばかりで、エイズという病気もひたひたと押し寄せる不安はあるものの、感染のおそれのあったリチャードも友井さんの前から消えることで直接的な問題としては描かれていませんでした。

「友井久嗣・エピソード3」(文庫版)では、友井さんはリチャードを失った上エイズの登場とその深刻性によって間接的に同性愛者としての立場を異性愛者たちから責められているような日常が続いています。
また、医者である以上常に完璧な治療を求められつつも、時としてわずかな判断ミスから患者を死なせてしまうプレッシャーにもひとりで耐えなければなりません。
人ひとりの命を預かりながら死なせてしまった時は、さすがに「一人でいたくない…」と思うほど友井さんを落ち込ませます。
そんな時、ふとしたきっかけで友井さんに声をかけてきた青年がマーヴィンでした。




そしてゲイとエイズの問題をクローズアップして物語が進められていきます。

1983年(昭和58年)と言えば、年表にあるように日本ではエイズは「アメリカでナゾの伝染病」として報道され始めたばかりのころです。
オリジナルの物語中でもエイズについて看護婦が興味本位に「ゲイの血液から感染するってことが人の気を引くわけで…」と話す傍ら医師が「おいおい、感染経路はまだはっきりしとらんぞ」と釘を刺すシーンがあります。

また改訂晩ではエイズの症状としてより具体的な病名も登場します。
「初めはカゼに似ているんだ。
発熱・下痢・疲労感。
リンパや肝・脾臓がはれてやせてくる。
なにぶん免疫機能が低下して、ありとあらゆるウィルスに感染してしまう。
カポシ肉腫カリニ肺炎
この病気にかかったら、死の宣告をうけたも同然だよ」





マーヴィンはリチャードとは正反対の性格の繊細で気の弱い青年です。
しかも友井さんと出会った時には、同性愛者であることを自己否定したまま女性と既に結婚していました。

マーヴィンは、日本では変人と思われている友井さんに素直に好意を抱きます。

「きみといるこの穏やかな時間が好きなんだ」

とまで言えるほど友井さんを信頼していきます。
オリジナル版のマーヴィンはもう少し明るく活動的な雰囲気なのに対し、改訂版では物静かでより繊細な性格になっているようです。

友井さんは相変わらずマーヴィンを笑わせるためにはいやらしい下ネタもあえて連発します。
オリジナルでも、気分が沈んだマーヴィンを笑わせるために皮肉たっぷりにおどけて見せたりしています。
どちらにしても、友井さんが下品な冗談を言うのは理由があります。





「(きみは)いつも笑っててくれ。
いつも、愛してるから」





うさを晴らすためにはいくらでも他人を翻弄して傷つけることも平気な友井さんですが、本気で愛した相手にはとことん自分を投げ出す献身的な一面も持っています。

とは言うもののリチャードとの恋愛で懲りたのか、永久的な恋愛なんてガキじゃあるまいし…、とどこか冷めているつもりの友井さん。
しかし純粋なマーヴィンの自分に対する好意に「一生そばにいよう」と決心するのに迷いはほとんどなくいたります。

リチャードとは違う穏やかな関係は友井さんにも安らぎを与えます。
この物語でも、直接的なセックス等の描写はほとんどなく、むしろ二人の精神的な繋がりを強調する穏やかな関係を連想させます。
マーヴィンはマーヴィンで友井さんとの関係を続けるために、妻とは離婚する決意をします。




が、そんな時妻から妊娠したと告げられ優柔不断な彼は離婚したいとも言い出せず、友井さんもあえてマーヴィンから身を引きます。
この時妻のナンシーはマーヴィンの心変わりを知っていて離婚に応じないという底意地の悪い態度で、読者にとってひたすら悪役に映ります。

しかしそれでも(いや、だからか?)、結局ふたりともお互いを捨てきれない。
同性愛者であることと、結婚して子どもも生まれるというのに妻を裏切っているという二重の罪悪感に苛まれるマーヴィン。
そんな手詰まりな状況の中で友井さんはマーヴィンがエイズに感染した可能性に気付きます。







もし、あなたが友井さんだったらその時どうします?








もちろん逃げるというのもひとつの選択です。
エイズとの関連はありませんが、犬童一心監督の映画で『ジョゼと虎と魚たち』を観たことがありますか?
ジョゼと虎と魚たち(通常版) ジョゼと虎と魚たち(通常版)
妻夫木聡 (2004/08/06)
角川エンタテインメント

*詳細を見る

あのラストは逞しくももの哀しいですが、ある意味実に人間的な選択なんだろうと思います。

そして、誰も当事者でない以上彼を責めることはできないでしょう。








しかし、友井さんは類まれなる変人です。
自分に大いなる自信を持っているがために、あえて彼は厳然とマーヴィンとの人生を選びます。(しかし、傍目にはとても軽やかに)
(*物語上は1983年。現在は薬を服用することによって病気の発症を抑えることもできる。が、当然検査による早期発見が重要である。
HIVウィルスはヒトの免疫機能を著しく低下させるものなので、感染=発症ではない。が、抵抗力の低下によって簡単に他の病気に罹りやすくなりまた重篤になりやすいがため死亡率が高い)




友井さんは変人ですが、自分の感情にはとても素直な人間です。
当時はまだ治療法もない状態のエイズに感染した相手をどこまで愛しきれるでしょうか?
多分、友井さんなら目の前で愛する人がエイズに感染して発症し、50Kgも体重が減って死んでいくとしても、逃げ出さずに彼のそばで一生笑いをとることでしょう。











彼が自分のそばで生きている限りは。










マーヴィンは1983年当時感染経路や治療法・予防法も確立されていない時期のためか、エイズに感染した自分に「一生そばにいよう」と友井さんが言ってくれたことを「きみも一緒に地獄へ堕ちるということか…」と悩みます。

しかし、現在では患者とただ共に生活するだけでは即HIV感染とはならないと分かっていますし、性的接触そのものも「セーフセックス」という知識があれば可能であります。

20年、いやあと10年頑張って生きていられたら、彼らの生活もまた別の道が開けたかもしれません。


生き続けていれば。












結果的に友井さんはマーヴィンを唐突に失います。
そして、同性愛者であることが原因で職場でも周囲から白い目でみられる日々が続くことになります。



そうしたつらい世界から逃げ出した後のお話『TOMOI』が最終章にあたる「友井久嗣・エピソード4」へ続きます。


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